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「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節

「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節

日本の社会では「祈り」は自分の願いや望みということに重点が置かれていると思います。英英辞典で調べてみると、祈りprayという言葉には、commune with God神と親しく語り合うという意味があります。祈りとは「神との対話」であるのです。そして、offer thanks,make request known 感謝を述べ、願いを知らせるという意味があるそうです。まず神に感謝をし、それから自分の願いを申し上げるということです。祈りとは神との対話であり、時には、サムエル記上3章10節にある少年サムエルの言葉「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いています。」というように神に聴くということもなさねばならないと思わされます。

「どんな願い事であれ、あなたがたのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」とマタイによる福音書18章19、20節に記されています。二人をはじめとする複数の人間が心を合わせて祈るということは大切であると思います。

ミシェル・クオストというフランス人のカトリックの司祭が書いた「神に聴くすべを知っているなら」という本があります。この本には生活の具体的な現実の中で祈られた祈りが記されています。信仰とは私たちの具体的な生活と切り離して捉えることはできないということを教えられます。

ヤコブの手紙5章16節後半には、「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」と記されています。この「正しい人」とは特別な人ではなく、神さまの前にへりくだり、すべてを神さまに委ねて生きている人のことです。心から神さまの前にへりくだり、神さまにすべてを委ねる信仰をもって祈り合う時、祈りは力となり、具体的な事柄が神にあって実現するのです。

キリスト教が根づかない日本の社会にあって、教会のことを思い、内向きに祈ることも大切ですが、教会いの外の人たち、自分の家族、友人たち、地域の人たち
職場の人たち、また社会で起きている様々な事柄のことを覚えて、教会の中で外向きに祈り合うことも大切です。

私たちの教会が「祈り合う教会」として、大きな力を持つことができるように、そして、祈りから行動へと押し出されていく、そのような教会として成長していくことができるように、神さまの導きを祈る者でありたいと思います。

2017年5月7日 復活節第4主日 平島禎子牧師

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