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「神から出たもの」 使徒言行録5章38~42節

「神から出たもの」 使徒言行録5章38~42節

私たち信仰者が物事を判断するに際して、最も重要なのは、それが、神から出たものか、それとも人間の思いから出たものか、という点であります。神から出たものは永遠に続きますが、人間から出たものは、一時、栄えたように見えても、やがて自滅してしまうのです。祈って、祈って、本当にこれが神のみ旨かということを問う信仰の習慣が、ここでものを言います。

今日の聖書の中心人物はガマリエルという律法の教師です。ファリサイ派に属し、民衆全体から尊敬されていた人物です。22章3節を見ると、ここはいわゆる「パウロの弁明」と呼ばれているところですが、パウロもガマリエルのもとで律法の教育を受けていたことが記されています。ガマリエルという人物は、そうとうな人だったのだと思われます。

29~32節には、ペトロたちがした弁明が書かれています。これを聞いていた最高法院の人々は、激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えたのです。ところがそこでガマリエルが立ち上がり、使徒たちを外に出したうえで、最高法院の議員たちに35~39節の、見識と含蓄のある言葉をのべたのです。彼は、心から神を畏れる者だったのだと思います。36節にはテウダのことが、そして37節にはガリラヤのユダのことがのべられています。そして、今日の聖書の38節で、人間から出たものなら、自滅すると言うのです。

私たちも神さまに祈るとき、聖書を読んで神の御声を聴くとき、何が神のみ旨であるか、ほんとにこれをしていいか、注意深く問わなければなりません。教会の業は神の業です。この世の栄華に惑わされそうになるとき、さまざまな誘惑に負けそうになるとき、もう一度、原点に立ち返り、神から出たものこそ重要であり、私たちが知からを合わせて取り組むべき事柄であることを心に刻まなければなりません。

今、私たちの社会、時代は混迷を深め、またさらに天災が追い打ちをかけるような時代に生きています。だからこそ、私たちは、何が神から出たものであり、何が人間から出たものであるのかを峻別しなければいけません。もしかしたら、まかり間違えば、神に逆らってしまうかもしれないのです。

日々、聖書に親しみ、祈りを熱くしながら、何が神から出たものであるかを知り、そのことのために賜物を生かして奉仕していく者でありたいと思います。

2017年7月16日 聖霊降臨節第7主日礼拝 笹井健匡牧師

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