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「あなたは何者なのか」 ヤコブの手紙4章11~12節

「あなたは何者なのか」 ヤコブの手紙4章11~12節

 夏の休暇で福岡へ帰省し、3年5ヵ月前に急死した弟の墓参りに家族で行きました。晴れ渡った空、広がる海が霊園から一望でき、改めて人間は有限な存在なのだ、と思わされたことでした。また、休暇中の礼拝は日本キリスト教団玉野教会へ行きました。現代アートを思わせられる礼拝堂の素晴らしさとホーリーな雰囲気を感じ、とてもよい時間を過ごすことができました。玉野教会はホーリネスの群れの教会です。ホーリネスの群れの教会の中には、戦後日本キリスト教団を離れ日本ホーリネス教団を形成した教会もありますが、そのようなことに捉われず、一つのホーリネスの群れとしての活動をされており、すばらしいなと思わされています。一方、日本キリスト教団の中には、福音派(教会派)と社会派と言われたり、保守派とリベラル派とも言われるような状態が現在もあるように思わされます。大体、クリスチャン人口が少ないのに、内輪もめをしている場合ではないと思わされますが、リベラルな考え方をする私も、そうでない人たちに対立する姿勢を持っているような気がします。
 今日の聖書の最後に、「隣人を裁くあなたは、いったい何者ですか。」という問が記されています。私たちが人を裁く時、私たちは自分がどのような人間かわかっているでしょうか。自分のことは横に置き、怒りをもって、人の悪口を言うことがあるかもしれません。そして、そのときは、自分の真実の姿を忘れ、神を忘れ、何か自分が偉い者になったかのように錯覚して、人を裁くということをなしていないでしょうか。そのとき、「隣人を裁くあなたはいったい何者なのか」という神の声を聞かねばならないと思います。その声を聞き、私はいったい何者なのだ、と冷静に考えなければならないと思わされます。そして、自分の罪を悔い改め、隣人を裁くのではなく、隣人を愛することをしていかなければなりません。イエスさまがこの地上にあって、特に貧しい人、病の人、虐げられている人、差別されている人の友となられ、徹底的に愛されたということを知っている私たちは、隣人を裁くのではなく、隣人を愛していくということをなさねばなりません。そのような歩みをしていくことによって、私は何者なのかということがわかってくるのではないでしょうか。
 ここにいます私たち一人一人、心おごり、怒りに満ちた時、「あなたは何者なのか」という神の問を聞き、冷静になり、御心に適う対処をなしていくことができるよう、祈る者でありたいと思います。

2017年9月10日 聖霊降臨節第15主日 平島禎子牧師

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