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「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節

「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節

 私たちは病からであれ、人間関係からであれ、苦しみを受けることがあります。私も最近、病からと人間関係からくる苦しみを受けました。長く大丈夫だった喘息の咳が出たり、FB上で傷つけられることもありました。そのような苦しみに対して私たちがとるべき態度を与えられた聖書から学びたいと思います。
 2節の「弱い者に思いやりのある人」とは関根正雄さんによると「言葉を慎む人」と解釈することができるそうです。人が人を傷つけることの多くは「言葉」によってであるかもしれません。かく言う私も「言葉」で人を傷つけることを何度かなしてしまいました。現在は、悔い改め、言葉を慎むように努力しています。
 5節から10節には、この詩人の神への嘆願と嘆きが述べられています。この詩人を苦しめていたのは、かつての仲間の言葉だったのです。仲間に裏切られるということほど、苦しいことはありません。
 最後の11節から13節までには、そのような苦しみの中nある人が敵を見返したいという思いが記されています。敵の悪魔的な力に負けずに闘っていくという姿勢が表されています。この詩人は、生きて働く神の力は敵の力より強いということを確信しているのです。苦しみの中にあっても、神さまを信じ、祈り、訴え、神の力がこの地上で働くことをこの詩人は信じているのです。
 しかし、苦しみの中に自分が置かれた時、私たちは、なんとか苦しみから逃げ出したい、またその苦しみに気づかないふりをしたい、と思う者であるかもしれません。しかし、そうすることによって、さらに悪い状態へとなっていくのだと思います。今の状況がどんなに苦しいものであったとしても、自分を見据え、敵を客観的に見て、神に祈り、願うことが大切であろうと思います。苦しみの中にいる時、一番大切なのは神さまに祈ることです。その祈りは言葉にならない声、うめき声でしかなされないかもしれません。しかし、神さまはその祈りを聞いてくださるのです。
 また、信仰の友とと自分の苦しみを分かち合うことも大切です。教会は神の家族です。嬉しいことも苦しいことも共に分かち合える場です。十字架の縦の線は神と私たちの関係を、横の線は人々と私たちの関係を表しているように思わされます。苦しみの中にあってもそのことを忘れずに、神さまに心から祈り求め、信仰の友たちとその思いを分かち合うということをなしていくことができるように、祈る者でありたいと思います。

2017年9月24日 聖霊降臨日第17主日 平島禎子牧師

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