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「人生のゴールを目指して」 ペトロの手紙二1章3~14節

「人生のゴールを目指して」 ペトロの手紙二1章3~14節

 私は50歳になってから、人生にはゴールがあるのだ、ということを強く感じるようになりました。この先長くて30年くらいの人生かなと思う時、自分は何も残せないけれども、あかしなどもないけど、その時々の環境や体調に合わせて、楽しく、しかし懸命に生きていく積み重ねをしたいと思わされるようになりました。いつ死んでも後悔しない人生を送りたいと思うようになりました。しかし、人生のゴールを迎えるためには、キリスト者としての在り方ということは意識しなければなりません。
 今日の聖書の4節には「わたしたちは尊く素晴らしい約束を与えられています。」と記されています。この世の只中で、人間的な罪の中を生き、滅びる他ないような私たち一人一人の命を、神さまはイエスさまを通して愛され、救われ、導かれるということです。滅びではなく、永遠の命を持つ者へと変えられたのです。
 しかし、救われたからといって、怠惰な人生を送るべきではありません。神さまの愛を受けた者として、この世での生き方が、古いものから新しいものへと変えられなければなりません。そのキリスト者としての地上での歩み方が5節から7節までに記されています。そこには信仰から始まり、愛によって終わる8つの徳目が記されています。7節の際粗には、「兄弟愛に愛を加えなさい」と記されています。どちらも同じではないかと思わされますが、「兄弟愛」はギリシア語では「フィラデルフィア」という言葉で、「友愛」、友人への愛を意味します。「愛」は「アガペー」というギリシア語です。アガペーには対象の制限がありません。すべての人を愛する神の愛を意味しています。最終的に私たちは、アガペーの愛を持つ者へと変えられていくのであろうと思います。
 これらの徳目を持つならば、主イエスを知り、イエスに従って生きていくことができるのであろうと思います。しかしそうでない者たちは、目先のことに捉われ、信仰までもがなくなってしまう恐れがあります。私たちはイエスを知る者として、人生のゴールを迎えるまで、信仰、徳(道徳的実践)、知識(神を知る知識)、自制(揺るぎない堅実さ)、忍耐(能動的な忍耐)、信心、兄弟愛、愛をもって生きてることができるように努めることが大切なのであろうと思います。
 私たちは「尊くすばらしい約束」(4節)を与えられた者として、これからも主イエスに導かれ、すでに約束されて、与えられている人生のゴールを目指して、愛のある人生の歩みを成し遂げる者でありたいと思います。

2017年10月8日 聖霊降臨節第19主日 平島禎子牧師

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