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「罪を背負って生きれるか」 ローマの信徒への手紙3章9~18節

「罪を背負って生きれるか」ローマの信徒への手紙3章9~18節 藤原史朗牧師

 若い日々、教会で説かれる罪の意味がよくわからなかった。11月で73歳になろうとする今、罪だらけの自分を知る。
 昨日は、キリスト教作家遠藤周作原作の『海と毒薬』を観ていただいた。大戦末期九州帝大医学部で起きたアメリカ兵捕虜8名の生体解剖の事件が物語のテーマ。
本土決戦を叫ぶ軍の命令とは言え、解剖に臨む医学部教授たちの罪の意識の脆弱さと野望。血液不足の事態が予想され、海水を血液の代用にできるか、内臓の切除と生命の耐久時間は、といった実験。戦争が被害者の立場で語られる中、遠藤は戦争の加害者性を問題にした。
 今日、安倍政権の「戦争のできる国」への加速は目に余る。兵力の不足は奨学金債務返還免除と引き換えの若者で補えが、どこからともなく聞こえてくる世相である。この風潮に抗して戦争の悲惨さを強調しても、安倍首相は動じない、もっと語れと。そういう悲惨な事態を招かぬために軍事と軍事同盟を強化するのだと、彼の積極的平和主義。抑止論を強調して止まない。琉球、アイヌモシリ、台湾、朝鮮、中国、東南アジア各国へと兵を進め植民地下に置こうとした日本の近代化の野望を、彼は侵略戦争だと認めない。曰く「侵略の定義は定まっていない」と。
 そこには、彼の祖父(A級戦犯容疑)らが起こした侵略戦争の罪を故人に代わって背負う気持など毛頭ない。前述の九州帝大生体解剖事件を医学生としてかかわった自己の罪を、背負い続ける医者がいる。その姿に戦争の悲惨さと平和への希求が真に示される。礼拝後、その老医師のドキュメントをTVでご覧いただき、罪を背負うとはどういうことかを学びたいと思う。

2016年8月21日 聖霊降臨第15主日

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