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「新しい出発」 マタイによる福音書2章1~12節

「新しい出発」マタイによる福音書2章1~12節

 新年おめでとうございます。新しい年、2017年が良き年となりますように、心を込めて祈りたいと思います。
 クリスマスの愛の光の中で、今日のこの礼拝を神さまに、そして新しく誕生された主イエスにささげたいと思います。博士たちと同じように。
 彼らは、おそらくペルシャの学者、今で言う、シンクタンクにあたるような、王様のブレーンだったのだと思います。私たちが想像する以上に、当時の天文学はすすんでいました。彼らは、南西の方向に、ひときわ大きく光り輝く「星」を見つけ、すすんでいました。彼らは、南西の方向に、ひときわ大きく光り輝く「星」を見つけ、これは、ユダヤに新しい王が誕生した、とかんがえたのだと思います。宝物をたずさえてやってきたのは、いわば視察の意味もあったのだろうと思います。しかし、新しい王は、本来、王の居場所である王宮にはいませんでした。今度はヘロデのほうが、自らのブレーンに王(メシア)の誕生の地を問いただします。そこで、ベツレヘムがでてくるわけです。ミカ書5章1節のことばによって。
 博士たちは「星」に導かれ、ベツレヘムに行き、主イエスと会いまみえます。最初はとまどったのかもしれません。おそらく、貧しい家に、貧しい身なりの母マリアとともに、安物の布にくるまれた赤ちゃんを見たからです。しかし、その赤ちゃんは、きっとこの博士たちに微笑んだのではないでしょうか。しかもその微笑は、彼らの心、魂に届く、愛のこもった微笑だったのだと思います。
 博士たちは、予定どおり、用意してきた黄金、乳香、没薬をささげたのです。貧しい身なり、しかし尋常ではない存在感をもった、赤ちゃんイエス、その前にひれ伏し、拝みました。主イエスをメシアとして受け入れたのです。イエスをキリストと信じる者となったのです。
 博士たちは、夢のお告げによって、きたときとは別の道を通って帰っていきます。来るときは、この世の常識通り、王宮に、新しい王を訪ねてきたのですが、彼らは、おそらく、ユダヤ人の王を超えた存在、神から遣わされた神的な存在、いや神そのものに、会いまみえたのだと思います。彼らは、ここから、この時から、新しい自分となり、そして、新しい出発をなしたのだと思います。
 ここにいます私たちも、単なる新しい年を(受け身で)迎えるのではなく、自分の行くべき道、新しい別の道を、神さまに示され、イエスさまに導かれて歩む年としたいものだと思います。きっと、その先に、神さまの祝福、平和、新しい世界があることを信じてともに進んで行く者でありたいと思います。

2017年1月1日 降誕節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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