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「ガリラヤで会おう」 マルコによる福音書16章1~8節

「ガリラヤで会おう」 マルコによる福音書16章1~8節

イースターおめでとうございます!

長い受難節をようやく終え、イースターの良き日を迎えることができ、心から神さまに感謝します。私たちは毎年のように、こうして喜びの日としてイースターを迎えていますが、約2000年前、一番最初に主イエスの復活を目の当たりにした人たちは、それはそれは驚いたことでしょう。あり得ない、信じられない、恐ろしいというのが最初の気持ちだったと思います。

今日の聖書の3人の女性たちもそうでした。葬りの業をするために赴いた墓で、天使に驚き、逃げ去って、震え上がり、正気を失ってしまいました。イエスの復活がいかにとんでもない出来事であるかがよく分かります。しかし、その中にも天使の希望の言葉がありました。

復活を告げた後、ガリラヤで会える、ことを告げたのです。ガリラヤ、それは生前イエスが弟子たちと共に活動されたところでした。4人の漁師を弟子にし、徴税人の家で宴会を開き、町々村々を巡って、神の国の福音を宣べ伝えました。笑いあり、涙あり、驚きあり、喜びありの、それはそれは充実したときでした。みんないろいろあっても、満たされていたに以外ありません。

一方「墓」というのは、死の象徴であり、亡骸を置かれる、むなしい場所、空虚なところでした。復活の主イエスは、むなしい墓ではなく、共に福音を宣べ伝えた、生き生きと活動した、あのガリラヤにおられ、そこへ「ガリラヤで会おう」と弟子たちを招かれるのです。

すべてが終わってしまい、できるのは、葬りの業だけだと思っていた3人の女性たちに、天使は新しい始まりを告げたのです。

私たちも「墓」というむなしい場所にとどまらず、主イエスが教えたもうた福音を人々に伝えて行くとき、そこに復活の主イエスが共にいて働いて下さるのです。

「ガリラヤで会おう」と呼び掛けて下さる復活の主を仰ぎ、この世の何物をも恐れず、福音を宣べ伝えて行くとき、復活の主が共に働いて下さり、一粒の麦が多くの実を結ぶ奇跡が起こるのです。

この喜びあふれる復活節のときを、主と共に生きる、新しい始まりのときとして捉え、復活の主に信頼して共に前進して行きたいと思います。

2017年4月16日 イースター礼拝 笹井健匡牧師

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