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「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節

「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節
 
なぜか2週間前に続いて、「教会」をテーマにした説教になってしまいました。教会というと、多くの人は建物である教会堂を思い浮かべるかもしれません。もちろん建物としての教会も大切です。しかし、建物とおなじくらい大切なのは、共同体としての教会です。新約聖書の原文では、教会のことを「エクレシア」と言っています。この「エクレシア」には、「民の集会」、「共同体」、「教会」という意味があります。イエスさまを信じ、神さまを信じ、聖霊の働きを信じる私たちが、互いに愛し合う共同体こそが教会なのです。

テモテへの手紙一3章15節後半では、「神の家」とは「生ける神の教会」と記されています。そして、「生ける神の教会」を形成するにはどのような教えと導きが必要なのかということがこの手紙の中で述べられているのです。

16節は「キリスト賛歌」として有名な箇所です。キリストが肉において現れたというのは、イエスが肉体を持った人間としてこの地上に生きられ、愛の業をされたということ、そしてイエスの霊が、イエスの精神が神によってよしとされ、義とされたのです。そして、「異邦人の間で宣べ伝えられ、世界の中で信じられ」たということも大切なことです。キリスト教がユダヤ教の枠を越えて世界に広まり、日本においても、神の教会が立てられ、イエスさまを信じ、神さまを信じ、聖霊の働きを信じることができるようになったのです。

1970年代になって、「解放の神学」ということが言われ出しました。様々な差別からの解放を唱える神学が出て来たのです。「黒人解放の神学」、「女性解放の神学」(フェミニズム神学)等も出てきました。日本では、「部落解放の神学」とも言ってもよい、栗林輝夫さんの書かれた「荊冠の神学」があります。また韓国では「民衆(みんじゅん)の神学」というものが出てきました。そのほかにも多々あると思うのですが、イエスさまの教え、キリスト信仰は、人間を縛っている社会的罪や悪から人間を解放するためにあるのだ、と言われているのだと思えます。もちろん各個人の罪の赦しも大切ですが、個人にとどまらず、社会にある救いも大切であるのです。

イエスによって啓示された神は、歴史を導く神であり、人間の罪を赦し、人間解放へと導かれる神です。そして、神さまは今も生きて働いておられます。私たちはこの生きて働かれる神に望みを置き、神の創造の業に参与する教会形成をしなければならないと思います。今もこの児島教会を導き、創造されている神にのみ望みを置き、私たちが一人一人が「生ける神の教会」を形成していく者でありたいと思います。

2017年5月21日復活節第6主日礼拝 平島禎子牧師

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