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「「罪人」」を招く」 マルコによる福音書2章13~17節

「「罪人」を招く」 マルコによる福音書2章13~17節

今日の聖書の箇所は、私にとって一番大切な個所です。1991年11月17日、朝礼拝ではじめて説教した個所です。そこで私は自分が被差別部落出身であることを話しました。・・・。

イエスが最初に4人の漁師を弟子にしたことはみんな知っています。しかし5番目に弟子にしたのが徴税人であることは、ふだん忘れられています。しかもその徴税人の家で、多くの「罪人」も一緒にイエスと食事をしたのです。これは当時の社会常識では考えられないことでした。だからこそ、律法学者は、どうして徴税人や「罪人」と食事をするのか、と問うたのです。それに対するイエスの答えはシンプルでした。わたしが来たのは、「罪人」を招くためだ、と言われたのです。

日本は親鸞の悪人正機が有名です。実は親鸞は、当時避けられていた皮の草履をはいていたのです。当時の被差別者を救おうとする意図があったように思われます。実際わたしのところも、多くの被差別部落も浄土真宗が多いのです。キリスト教より5百年前の仏教が親鸞によってやっと変革のときを迎えたわけですが、イエスはさらにずっと前に、ユダヤ教の変革を、新しいキリスト教の誕生によって成し遂げられていたのです。

しかし、イエスの言動は、当時の支配者層にとっては、邪魔で、危険なものでした。ローマから目をつけられると、やっかいなことになります。しかしイエスの新しい教え、宣教はどんどん広がっていったのです。その結果が十字架でした。

しかし神さまは、そのイエスさまを復活させられ、ペンテコステによって、弟子たちも生まれ変わり、教会が各地に誕生して行ったのです。その後継者として私たちは、今、ここに、生きています。

今日は、「部落解放祈りの日」です。7日(金)に大阪で説教奉仕させていただきました。そのときイエスさまは、「罪人」を招くように神様から召命を受けたことを話しました。ここにいます私たち一人ひとりも神さまから召命を受けて教会に連なる者となりました。神さまから見ればすべての人は愛すべき子どもなのです。そこに差別はありません。私たちもイエスに従い、すべての人が安心して生きられる愛の世界を築いて行くために、一人ひとりができることをなしていきたいと思います。

2017年7月11日 部落解放祈りの日(聖霊降臨節第6主日礼拝) 笹井健匡牧師

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