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「神の計画」 創世記50章15~21節

「神の計画」 創世記50章15~21節

 今日の聖書は、父ヤコブが死んだ後、ヨセフの10人の兄たちの心配から始まります。兄たちは、ヨセフを憎み、ヨセフを商人に売り渡した結果、ヨセフは最終的にエジプトに連れてこらされたのです。そのことによって、父ヤコブ、ヨセフと同じ母から生まれたベニヤミンの苦しみは大きなものであっただろうと思わされます。兄たちはヨセフに許しを請い、ヨセフの前にひれ伏します。創世記37章1~11節に記されている、兄たちばかりか父母もヨセフにひれ伏すだろうというヨセフの夢が実現したのです。
 ヨセフは兄たちに、「私が神に代わることができましょうか。」と言いました。人間が人間を許すということはもちろん大切なことですが、究極的な許しは、神がなすものであるとヨセフは言っているのだと思います。そして、「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」とヨセフは言いました。そして、兄たちにやさしく語りかけたと21節には記されています。
 ヨセフはエジプトの地で牢に入れられた時、39章21節には「主が共におられ、恵みを施し、」と記され、23節には「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計られた」と記されています。神さまが常にヨセフと共におられ、ヨセフを導いてこられたのです。どんな苦境の中にあっても、神さまはヨセフと共におられました。そして、悪しき事、良き事、すべてが神さまのご計画の中で進められていったのです。
 私たちは人生の中で色々な経験をします。嫌なこともあれば嬉しいこともあります。悪に直面することもあれば、善を施されることもあります。悲喜こもごもであるのが私たちの人生です。しかし、信仰者はヨセフのように、自分に起こる全てのことは「神の計画」の中にあると死因汁ことができるのです。そして、悪いことも益となるようにされているのです。その日その時に苦しみが起きても、神に助けを求め、より頼み、これも神さまのご計画の中にあると信じ、ひねくれないで歩き続けなければならないと思わされます。ヨセフが言ったように、悪が善を産むということもあります。そのことを信じて、悲しみや苦しみにとどまらず、神さまの自分に対するご計画があってのことと思い、進んでいかなければならないのであろうと思います。
 神の計画を思い、神さまを愛し、何が起ころうとも、一時的に立ち止まったとしても、そこに立ちとどまり続けることなく、神の計画の中で生かされていることを信じて、前を向いて歩いていく者でありたいと思います。

2017年7月23日 聖霊降臨節第8主日 平島禎子牧師

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