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「平和への道」 ルカによる福音書19章41~44節

「平和への道」 ルカによる福音書19章41~44節

 明後日、8月15日は、敗戦記念日です。私たちは二度と戦争をしないと誓って、戦後の歩みを曲がりなりにも今日まで歩んで来ました。しかし現実には、つまり社会の裏側では、着々と戦争への道が進められてきたとも言えます。
 今年は宗教改革から500年の年に当たりますが、教団の「第二次世界大戦における責任についての告白」いわゆる戦責告白にから50年の年でもあります。この裏に印刷した教団新報のコピーにも、そのことが間接的に表されています。それは「見張り」という言葉です。旧約聖書を通して、得に預言書をとおしてこの「見張り」の役割は、神さまから重要な使命として示されています。引用されているエゼキエル所はもちろん、イザヤ書には56章9~12節に、大変辛辣な「見張り」の役割を担うべき者への批判があります。特に、牧会者は心を刺し貫かれる思いがします。「牧師」には祭司的役割と預言者的役割の両方がありますが、現実は祭司の仕事のみに逃げ込んでいる人が多いのではないでしょうか。
 私は9日の長崎式典での、市長の言葉と、被爆者の言葉こそ、本来牧師が語るべき、つまり、神さまから「見張り」の役目を与えられてる者が語らなければいけない言葉だと思いました。先に記しましたように、宗教改革後は、「万人祭司」です。それは「万人預言者」でもあると思います。心ある人々とともに何とか戦争への道を止めなければなりません。そうでなければあの戦責告白は無に帰ってしまいます。いや私たちの主イエスが、その尊い命までささげて開いてくださった「平和への道」を台無しにしてしまうことになるのです。
 しかし、私たちには何の力もない、と思われるかもしれません。しかし私たちにも日は「武器」があるのです。しかも最強の。それはコリント二10:4に記されています。「わたしたちの戦いの武器は・・・神に由来する力」なのです。どんな武器よりも強いのです。この武器をつかって、この世のあらゆる悪の力に打ち勝ち、主イエスが開かれた「平和への道」を切り開いていくことができるのです。
 見ざる聞かざる言わざる、をそろそろ卒業するときです。そして唯一の被爆国として、また大きな戦争加害、被害国として、世界最高の憲法を持つ国の信仰者として、世界に向かって「平和への道」を伝えて行かなければいけません。それは、イコール、主イエスを宣べ伝えて行くことになるのです。
 神さまに守られ、聖霊に導かれながら、平和の主イエスに従い、それぞれができることをなしていきたいと思います。栄光は神にあれ!地には平和あれ!

2017年8月13日 聖霊降臨節第11主日礼拝 笹井健匡牧師

*教団新報のコピーは児島教会ブログhttp://uccjkojimachurch.at.webry.info/に載せてます。
小さいので、クリックして拡大して読んでください。

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