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「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節

「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節

 今、私たちは、児島教会に連なる38名の召天者のみなさんと共に、記念の礼拝をささげています。このとき、新たな思いをもって、児島教会の現在、過去、そして未来に思いを馳せたいと思います。
 この1年間に新しく2名の姉妹たちが召天者の列に加えられました。お1人目は、昨年12月8日に召天された鴨居シズヱ姉です。さきほど歌いました旧讃美歌の2編157番は、姉妹の愛唱讃美歌でした。・・・中略・・・。
 お2人目は、今年3月29日に召天された大島登志子姉です。旭東病院での最後の日々は、今も忘れることができません。・・・中略・・・。
 児島教会は、70年になろうとする歴史を歩んで来ました。多くの信仰の先達たちの不断の努力によって、今日があります。キリスト教会も2000年になろうとする歴史を歩んで来ました。(またプロテスタント教会が誕生するきっかけとなったルターの宗教改革から500年になります。)2000年の歴史は、一言で言えば、改革の歴史だったと言えると思います。よく言われることですが、「変わらないために、変わり続けてきた」のです。
 今日の聖書は、誕生したばかりの教会がどのような姿だったかを伝えてくれています。当時クリスチャンたちは、終末はすぐにでも来る、と信じていました。今日の聖書にあるような、理想的な共同体ができたのも、そうした信仰が背景にあったことは否めません。しかし、ここに描かれている教会の姿は、時代を越えて、私たちクリスチャンが追い求める理想の姿です。持っている者が、心を込めて神さまにささげ、持っていない者がその必要とするものを分け与えられる、なんとすばらしい人間の集まり、共同体でしょうか。
 持ち物を共有していた彼ら彼女らは、「物」だけではなく、「心」を共有する、つまり喜びや悲しみも分かち合う共同体だったのだと思います。だからこそ、周囲の人々から好感を持たれていたのだと思います。
 これから私たちの生きる社会はどのようになっていくか分かりませんが、御前にある信仰の先達たちがつなげてくださった信仰のたすきを受け継ぎ、その時代、その社会に必要とされる神さまの御用を、互いに助け合いながら、すべてのものを分かち合いながら、誠実に一つひとつ行って行く者でありたいと思います。
  2017年11月5日 聖徒の日・召天者記念礼拝 笹井健匡牧師

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