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「あなたは尊い」 イザヤ書43章1~7節

 新年おめでとうございます。
 昨日が公現日であり、クリスマスイブからの2週間のクリスマス休暇が終わりました。と言っても欧米のキリスト教国の場合ですが。
 今日から新しい年が本格的に始動します。2017年は何とか無事に終わることができ、何よりでした。しかし現代私たちの多くは、「年度」で生きています。あと3か月なんとか無事に終えることができるように祈りたいと思います。
 今年のことをいろいろと思いめぐらしていると、なぜか今日の聖書の4節の聖句が思い浮かびました。口語約聖書では「あなたは尊く、・・・」となっています。イエスさまが最もよく引用された聖書(旧約聖書)の一つは、イザヤ書です。イザヤの預言の精神が最も端的に言い表されている言葉だと思います。神の前に人間は尊い存在である、と。現代風に言うと「人間の尊厳」です。この精神は日本国憲法の土台にもなっていますが、イエスさまよりさらに500年以上も前に、イザヤは神が保証するものとして人間の尊さを語っているのです。
 イザヤ書というと、私たちクリスチャンにとっては、救い主であるイエスさまの預言を思い浮かべます。それは言い変えれば、神はそのひとり子を賜ったほどに、私たち人間を大切な存在として愛してくださった(ヨハネ3:16)ということです。それほど、本来「人間は尊い」のです。
 3節には神ご自身が「救い主」だと言っておられるのです。さらに最後の7節では「神が創造し、完成した。」とまで言われるのです。それゆえにわたしたちは尊いのだと。
 世の大小の陰には「コンプレックス」があると私は思っています。日本人は特に自尊心が低いと言われています。キリスト教は愛の宗教であると言いながら、その実、「罪」ばかりを語っている面があるように思います。もちろん、「罪の自覚」は大切です。しかし自身が罪深い存在であることをしっかりと自覚しながらも、そこにとどまらず、神はそんなに私たちを尊い存在だと思っていて下さることを心に刻みたいと思います。そして世の人々に、特に自らの「欠け」に苦しむ人々に「あなたは尊い」という私たちの神居さまの言葉を伝えていきたいと思います。
 暗雲立ち込める時代の中で、私たちをこよなく愛してくださる神の愛を、人々に宣べ伝えながら、その神への信仰によって、暗雲を吹き飛ばしていく歩みを、この新しい年、2018年も共にすすめて行きたいと思います。

2018年1月7日 新年礼拝(降誕節第2主日) 笹井健匡牧師

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2017年12月31日
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