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「仕える者」  マルコによる福音書10章42~45節

 4つの福音書に記されているとおり、イエスさまの生前にいろいろなことを人々に、また弟子たちに教えられました。その中の一つに「仕える」ということがあります。
 弟子たちはイエスさまから招かれ、文字通りすべてを捨てて、イエスさまの宣教活動に同行していました。つまり、イエスさまに「仕えて」いたのです。その熱心さは相当なものがあったに違いありません。なかなかできることではありません。そのようにしてイエスさまに「仕えて」いた弟子たちに「仕える」ことを教えられたのが今日の聖書です。
 舞台は、エルサレム入城直前です。イエスさまは弟子たちに3度目の受難予告をされました。しかし弟子たちはそのことを全く理解できませんでした。そしてヤコブとヨハネは、イエスさまがエルサレムで王に就任されたそのときには、自分たちをナンバー2とナンバー3にしてほしいと願い出たのです。そしてそのことを知って、他の弟子たちも腹を立て始めました。ヤコブとヨハネと同じような心でいたことがうかがえます。
 弟子たちは、イエスさまに心から仕えてきたのですが、しかしその反面、自分もだれかに仕えられたい、という思いを持っていたのかも知れません。私たちは心から尊敬する人に仕えることはできますが、しかし自分も他者から尊敬され仕えられたい、という思いを同時に持ってしまう存在なのかも知れません。
 イエスさまは、そんな弟子たちに対して、「偉くなりたい者」は「仕える者」になりなさいと教えられました。42節の言葉にあるように、民主主義のかけらもない時代です。階級社会のただなかにあって、イエスさまは「仕える者」となるよう教えられたのです。そしてそれを今からエルサレムで身をもって実践することを教えられました。
 このイエスさまが命をささげて教えられたように「仕える者」に、世界の人々がなっていくことができたとき、真の神の国がこの地上に実現するのかもしれません。その日を望みながら、信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。

2018年2月4日 降誕節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

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