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説教題 「新しい教え」  マルコによる福音書1章21~28節

 今日は三位一体主日です。神とイエスとともに聖霊を私たちは信じています。今日の聖書には、「汚れた霊」が登場します。続くペトロの家の場面では「悪霊」という言葉が繰り返し記されています。現を生きる私たちには理解しにくいものですが、はっきりしているのは、聖霊と反対のもの、ということです。人を苦しめ、また人を神から遠ざけるものだと思います。
 見出しにも、イエスさまが汚れた霊を追い出し、癒されたことが記されていますので、どうしてもそちらに意識が集中してしまいますが、一番の特筆すべきことは、イエスさまの教えが「新しい教え」だった、ということです。22節にはその教えを聞いた人々が非常に驚いたことが記されています。また27節には、「権威ある新しい教え」だ、と人々は言いました。
 イエスさまの教えは、それまで人々に律法を教えていた律法学者たちとは、まったく違う教えであったことが分かります。律法学者たちは、律法の専門家として、人々に律法に関する知識、解釈等を教えていたことと思います。例えるなら、先生が生徒に、生徒が知らないことを、また分かりにくいことを教えるように、人々を教えていたのだと思います。
 それに対して、イエスさまの教えは、律法の本質、神の本質をついた、その神髄を人々に悟らせるものだったのではないか、と思います。神の国が近づいて来ていること、だから悔い改めて福音を信ずべきことを、人々の魂に向かって語られたのではないかと思います。
 イエスさまは、もちろん深い愛のお方ですから、病に苦しむ人々を癒されました。しかしイエスさまの一番の使命は神の国の福音を宣教することでした。38節のイエスさまの言葉がそのことをよく表しています。
 ペンテコステの後、聖霊を受ける弟子たちも、この宣教の業がにまい進しました。イエスをキリストと信じる事、それは、イエスさまが宣教された福音を信じることと同じです。
 私たちは、いわば「人の国」に生きています。そこはさまざまな悩みや、苦しみがつきないところであり、多くの不条理が存在します。しかしそこに「神の国」が近づいて来ている、とイエスさまは言われたのです。
 そのイエスさまを信じる私たちは、イエスさまが教えられた「新しい教え」を聞き、まず自分自身がその福音の喜びに生き、そしてその喜びを神が出会わせてくださった人々と分かち合って行きたいと思います。

2018年5月27日 聖霊降臨節第2主日礼拝 笹井健匡牧師(平島の代理)

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