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「神に感謝」 テサロニケの信徒への手紙一5:16~12

 先週は花の日礼拝を捧げ、その後花の日の訪問をすることができ、本当に感謝なときを持つことができて良かったです。長い人生の経験、信仰生活から多くのことを教えられます。
 いつも訪問に行って、多くの信仰の先達の姉妹兄弟から教えられることのひとつは、「感謝」ということです。様々な人生の辛酸を経験し、厳しいことも多くあったであろうその口から出る「ありがとう」の言葉は大変重く、強いものであります。いつもこちらの方が、元気と勇気を与えられます。
 今日の聖書、テサロニケ信徒への手紙は、最も早い時期に書かれたパウロの手紙です。4章13節以下に明らかなように、終末、つまりイエスの再臨について少し問題が生じていたようです。それでパウロはこの手紙を書いたわけですが、しかし他のことは、大きな問題はなかったようです。文章も後年のローマの信徒への手紙と比べると、非常にシンプルで、すっきりしています。そこから今日の聖書の16~18節の名言が生まれたのだと思います。
 今日は「感謝」に注目したいと思います。直接的には、信仰の歩み、人生の歩みを続ける中で、多くの人と出会い、そしてそこで何かあったとき、その相手に対して感謝する、ということが多いのではないかと思います。しかし、その相手の人の背後には神さまがおられるのです。神さまがその人を遣わし、自分と出会わせ、何かしらのことをなして下さっているのです。人と関わるとき、その人の背後におられる神を見ることができるかどうかというのは、大変大きな、重要な信仰の事柄だと私は思います。
 自分にとって嫌なこと、しんどいこと、つらいこと、そうしたことさえも感謝することができるようになったとき、つまり、すべては神さまからきて、すべては自分のためにあることなのだと受け入れることができたとき、信仰者として成熟した姿を呈することができるのではないかと思います。
 自らの弱さや、欠け、また他者のマイナスの面ばかりに心を奪われる者ですが、そのような私たちを救うため、主イエスが地上に来られたことをもう一度思い起こし、神に感謝する信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

2018年6月24日 聖レ降臨節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

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