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「神の掟」  マルコによる福音書7章1~13節

 今日の聖書では、「昔の人の言い伝え」という言葉がでてきます。これは紀元200年頃までは成文化されず、口伝で受け継がれてきたものです。この言い伝えというのは、律法そのものではなく、律法を守るために人間が作った規則です。エルサレムからやってきたファリサイ派や律法学者たちが、食事の前に手を洗わないイエスさまの弟子たちを見て、「昔の人の言い伝え」をなぜ守らないのか、と言いました。イエスさまはそのことに対して、イザヤ書29章13節を引用されて語られた後、「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」といわれたのです。(8節) そして、「あなたたちは、自分の都合のようように「昔の人の言い伝え」だけを大切にして、真の神の掟をないがしろにしている」(13節参照)とイエスさまは、ファリサイ派の人々、律法学者たちを糾弾したのです。「昔の人の言い伝え」は神ではなく人間にとって都合のいい言い伝えでしかないとイエスさまは言われたのだろうと思います。
 マルコによる福音書12章28節には、最も重要な第一の掟は「神を愛すること」(民6:5)であり、第二の掟は「隣人を自分のように愛すること」(レビ19:18)
とあります。この二つの掟は相互不可分である一つの掟であると思います。神を愛さずして、自分を、そして隣人を愛することはできず、自分、隣人を愛することなくして神を愛することはできません。
 「神の掟」とは「愛すること」です。私たち一人一人は、私たちが愛を知らなかった時から神さまに愛されている存在です。時には、苦しみ、悩みが私たちを襲い、神の愛の中に自分がいることを忘れるといったこともあるかもしれませんが、しかし、試練が与えられることも神の愛の一形態であろうと思います。苦しみながらも神への愛を持ち、そして神からの愛の中にいることを忘れず、神さまの御心を求めるならば、不可能にしか思えなかったことも可能になっていくのです。そして、自分の苦しみや悩みのみに捉われることなく、いついかなる時も隣人を愛していくことができるようになるのではないかと思います。
 「神は愛である」(ヨハネ一5:1)ことを心に刻み、真に「神の掟」である「愛するということ」を忘れず、そして、「愛すること」に人間的な解釈を加えず、「愛」そのものを神から受け、「神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する」という「神の掟」を守っていく者でありたいと思います。

2018年9月23日 聖霊降臨節第19主日 平島禎子牧師

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