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「一粒の麦」  ヨハネによる福音書12章24節

 今日は聖徒の日・召天者記念礼拝を守っています。
 児島教会に赴任してから約4年半になりますが、その間5名の方を天に送りました。また私事では、児島に引っ越してから1週間後に弟が急死するということがありました。亡くなられた方々を思うと、悲しみ、寂しさ、喪失感や悔いの念が残りますが、時が経ち、自分も死ぬ定めを持つ人間であるとの自覚を強くし、先に召された方々と再会できる時が来るのだということを思う時、
与えられている残りの旅路を自分も一生懸命に歩まねばならない、と思うようになるのではないでしょうか。
 ヨハネによる福音書12章24節には、「はっきり言っておく、一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」というイエスさまの言葉が記されています。イエスさまご自身が、一粒の麦として死なれ、そして、多くの実を結ばれました。イエスさまの死は多くの人々を生かす生命となり、イエスさまによって生かされた人々は、イエスさまの実として生きていったのであります。
 今日記念している40名の方々お一人お一人もそれぞれに与えられたこの世の旅路という人生を精一杯に生きられ、良き物を私たち一人一人に残して、天に召されたのです。お一人お一人が一粒の麦として死なれ、その種を残された一人一人の心の中に蒔かれました。私たち一人一人が、愛する者の死によって蒔かれた種を育て、実を結ばないといけません。そして、私たち一人一人も一粒の麦として生き、死んだならば多くの実をもたらす種を残された人たちの心の中に蒔く者とならなければならないと思わされます。
 聖徒の日・召天者記念日のこの日、先に召された方々を覚え、思い出をよみがえらせ、先人たちの蒔かれた種を育て大きく実らせることができるように務める者でありたいとおもいます。そして、イエスさまにあって神さまに祈りつつ、ここにいます一人一人がこの世の旅路を終りまで歩み続けていくことができる者でありたいと思います。

2018年11月4日 聖徒の日・召天者記念礼拝 降誕前第8主日 平島禎子牧師

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