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「闇の中の光」  イザヤ書8章26b~9章6節

 アドベントの時期になりました。私たちはイエスさまの誕生を待ち望むのですが、それは私たちの生きている世界には闇があり、その闇を照らすためにイエスさまが地上に来られるのだ、ということを覚えておきたいと思います。
 今日の聖書のイザヤの預言は、イエスさまがお生まれになる700年前になされたものです。マタイによる福音書4章12節以下を見ますと、イエスさまがガリラヤで伝道を始められた時のことが記されていますが、そこにこのイザヤの預言が記されています。アッシリアに占領されたゼブルンの地、ナフタリの地はガリラヤ地方に含まれる地でした。しかし、そのゼブルン、ナフタリのような「闇の中を歩む民、死の陰に住む者たち」に、光が与えられるのだと預言者イザヤは言うのです。そして、それらの人たちに、ミディアンの日のように「深い喜びと大きな楽しみ」を神が与えてくださるのだというのです。ミディアンの日とは紀元前1200年から1050年頃のイスラエルの歴史を記した士師記6章に記されている、ギデオンが侵入してきたミディアン人に勝利した日です。そして、それからしばらく攻めてくるものはなかったという、イスラエルの歴史にとって、「勝利の記憶」となった出来事です。そして、神はそれ以上のことをしてくださるという強い信仰を持ってイザヤは預言をなしたのです。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」と述べるのです。そして「その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(5節)と記されています。イザヤはひとりのみどりごが与えられ、その方が公平と正義が行なわれる永遠の平和の時へと導かれるというのです。そして、これらのことをされるのは「万軍の主の熱意」によってであると、最後に記されています。私たちの信じる神は、熱意を持った、熱い神なのです。私たち人間の歴史に関わられ、私たちのことに心砕かれ、私たちに力を与えてくださる熱情の神なのです。
 「幻なき民は滅ぶ」と言いますが、これは、私たちの教会にも言えるのではないかと思います。現状を見ると、負の部分が多いようにおもわれますが、それでも「幻」を失わず、光として産まれられたイエスさまをお迎えし、そのイエスさまに従っていくなら、必ず、光は闇に打ち勝つと思います。闇の中に光をもたらされるために、イエスさまはお産まれになられます。そのイエスさまの誕生を待ち望み、静かな喜びをもって、クリスマス礼拝を待ち望みたいと思います。
 
2018年12月2日 アドベントⅠ(待降節第1、降誕前第4主日) 平島禎子牧師 

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