• 記事検索

RSS

「成人イエス」  ルカによる福音書2章41~52節

 今年は降誕節が非常に長く、第10主日まであります。クリスマスを迎えての喜びの時が長く続くことになります。この時には特にイエスさまの生涯を意識したりしますが、例年は素通りするイエスさまの青年時代について共に思いを巡らしてみたいと思います。
 インターネットで調べると非常にたくさん出てきますが、現代でもユダヤ教では成人男性の仲間入りをする儀式を13歳になったときにします。イエスさまの時代も、おそらくそうであっただろうと思われます。つまり、今日の聖書の42節の「12歳」というのは少年最後の年にあたるわけです。13歳になったからと言って、何もしないで、いきなり大人の役割が果たせるわけではありません。律法の学習を中心とした相当の準備が必要になります。エルサレムの富裕層等をのぞけば、一般の人たち、特にガリラヤのナザレの貧しい大工の子であったイエスさまの場合は最も遅いと思われる12歳の誕生日から律法の学習等の準備を始めたのだと思われます。聖書の記述を信頼するならクリスマスからイースターまでの約3~4か月がその期間でした。だからこそ、神殿にいた学者たちも、両親も非常に驚いたのです。こんな短い期間で…。
 さて、本題の「青年時代」ですが、今日の聖書の次にイエスさまが登場する3章には23節におよそ30歳で宣教をはじめられたとあります。18年の空白があるわけです。ですから唯一の手掛かりは、今日の聖書の51節、52節です。ナザレに帰ったイエスさまは両親に仕えて暮らされたこと、そして知恵が増し、神と人に愛された、ということのみです。
 マルコ6章の記述を信頼するなら6人以上いる弟妹の世話をしながら、大工として、一家の生計を支えて、生きて行かれたのではないかと思います。讃美歌280番にあるように、「貧しきうれい、生くる悩み」をつぶさになめながら、の人生だったのではないかと推察されます。あくまでも「神の子」であるイエスさまが家族に「仕えて」暮らされたのです。後の宣教活動の中で、繰り返し弟子たちに「仕える」者になるように教えられたイエスさまの原点がここにあるように思わされます。18年もの長い年月を、信仰と忍耐と、そして何よりも愛をもって生き抜かれたのがイエスさまの青年時代だったのだと思います。そしてそれは後の宣教活動の備えとなったのだと思います。
 長い降誕節の時、「成人イエス」にも思いをはせながら、私たちもそれぞれの苦難に信仰をもって耐えながら互いに愛し合って歩んで行きたいと思います。

2019年1月13日 降誕節第3主日礼拝 笹井健匡牧師   

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):