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「休むこと」 創世記2章1~3

 世の中は10連休ということで、大騒ぎになっていますが、「休む」ということは私たち日本人にとって、少し「苦手」なものに感じます。後ろめたいというか、悪いことのように感じてしまう人も多いのではないでしょうか。
 聖書には安息日が記載されていますが、モーセの十戒にも明記されています。もともとは今日の創世記で神さまが安息されたことに由来します。
 よくよく考えてみれば、人生のかなりの時間を睡眠というかたちで私たちは休んでいます。そういう意味では、休むことも大切な人生の一コマなのかも知れません。またうまく休むことができないと、結局よく働くこと、行動することはできません。古代社会において「安息」が重要なこととして教えられているのはやはりすごいことだと思います。
 現代の日本人はほんとによく働きますが、以前は、例えば江戸時代以前はどうだったのでしょうか。私は専門知識はありませんが、ひとつだけ思うのは、日本は季節の変化があり、また天候の変化もあることから、やみくもに、いつもいつも働き続けていた、というのはもしかしたら現代人の思い込みかも知れません。
夏は昼間の一刻が長く、冬は短かったりもしました。人々は自然と共に、自然のリズムに合わせて生きていたのではないでしょうか。そして労働の間にはうまく休憩時間をとっていたのではないかとも思います。
 今は、ずべてが管理され、職場によっては分単位で仕事が行われています。もしかしたら現代の労働の方が、より大変な面もあるのではないかと思います。
 イエスさまは「…わたしのところに来なさい。…休ませてあげよう」と言われました。笑い話のようですが、「休む」ために教会に来たのに、忙しくてこき使われて、なんかおかしいですね、という信徒の証しを聞いたことがあります。
 もちろん神さまの御用をすること、特にこの復活節にイエスさまのことを伝えることは大事なことだと、あらためて思わせられます。しかし、教会は、基本的には神さまの安息にあずかるところ、イエスさまから平安を授かるところだということを忘れないようにしたいと思います。そして、その復活の主イエスに救われた喜びを、心から楽しく人々に語っていける者となりたいと思います。

2019年4月28日 復活節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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