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「イエスの昇天」   ヨハネによる福音書14章23~31節

 今年の教会歴では、今週の木曜日、30日に昇天日を迎えます。その後、6月9日(日)のペンテコステの前日、8日(土)まで10日間、イエスさまがおられず、聖霊もまだ降臨していないときを私たちは過ごすのです。使徒言行録1章14節にあるように、「心を合わせて熱心に祈って」このときを過ごしたいと思います。
 イエスの昇天に関しては、使徒言行録以外では、福音書の最後の最後に少し記されているだけです。ですからなかなかとらえにくい面があるように思います。しかし今日の聖書の、このヨハネによる福音書には15章から17章にわたって繰り返し、いろいろな表現で昇天について、イエスさまご自身が語っておられます。十字架と復活の前に、あらかじめ弟子たちに昇天することを、そしてその後、聖霊がくだることを予言しておられるのです。具体的には、どういうふうな様子だったのか分からなくても、イエスさまご自身が繰り返し言われていることで、心から信じる事ができるように思います。
 今日の聖書の少し前の15節から、聖霊を与える約束が記されています。ですから、最近までの私の理解は、この28節の言葉「…去って行くが…戻って来る」というイエスさまの言葉は、再臨よりも聖霊を暗示しているように思っていました。しかし今回あらためて思わせられたのは、そう区別して考える必要はないのではないか、ということです。確かに昇天の後、聖霊降臨があったわけですが、パウロに現れられたのは、まぎれもなく復活の主イエスだったと思うからです。使徒言行録は、そのことを詳細に、しかも3回も記しています。つまり聖霊が降り、26節にあるように「教え」「思い起こさせて」くれるわけですが、復活の主イエスご自身も、ずっと神さまの右にとどまっておられるのではなく、必要に応じて、私たちのところに来られ、働かれる、ということなのだと思います。
 そう考えると、イエスさまの昇天はほんとに喜ばしいことなのです。旧讃美歌では、ベートーヴェンの第9の曲に歌詞をつけた、昇天の讃美歌158番がありました。イエスさまはこの世の「すべて」に勝利され、神さまのもとへと凱旋されたのです。そして今も私たちを見守り、働いておられるのです。
 私たちも喜びをもってこの10日間を過ごしたいと思います。そして互いに思いを一つにし、熱く祈りながら聖霊降臨、ペンテコステの日を待ち望みたいと思います。

2019年5月26日 復活節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

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