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「霊による一致」  エフェソの信徒への手紙4章1~6節

 今日は三位一体主日です。私たちは神さまを信じ、イエスさまを信じ、そして聖霊を信じている信仰者です。個人的な見解ですが、クリスマスにイエスさまをイースターに神さまを、そしてペンテコステに聖霊を意識して生きて行くのがクリスチャンとしての一年のひとまわりの歩みとしては、歩みやすいように思います。もちろん、基本は毎日三位一体の神を信じて生きるわけですが、特にこの時期には、聖霊の働きを意識する、ということです。
 聖霊の働きの中でも大きな位置を占めるのは、言うまでもなく教会です。今日は、教会のあるべき姿というか、理想というか、そういうものをエフェソの信徒への手紙から考えてみたいと思います。
 今日の聖書の後の三つの「見出し」は、「古い生き方を捨てる」「新しい生き方」「光の子として生きる」となっています。つまり今日の聖書の個所の「キリストの体は一つ」という見出しは教会の在り方について述べられていて、その後、その教会に連なる信仰者としての生き方が、最終的には「光の子」という言葉に集約して行くのです。
 中心にあるのは今日の聖書の「霊による一致」と7節以下の「賜物を生かし合う」ということだと思います。まず、聖霊によってイエスをキリストと告白させていただいた私たちは、神の息である聖霊を受け、そしてその聖霊に満たされ、導かれて生きて行く存在だということが重要です。もちろん理性や知性も大切ですが、何よりも神の霊によって、ひとつにされていることが教会の生命線です。これなしには何をやっても、結局人の業で終わってしまいます。
 一致のために必要なこととして、「愛をもって互いに忍耐し」「平和のきずなで結ばれて」いることが挙げられています。つまり、「主にある交わり」が形成されているかどうかが、重要だということです。共に礼拝をささげ、賛美をなし、祈りをすることによって「主にある交わり」はより深められて行きます。
 また今日は礼拝後、マナの会例会がありますが、そこでなされる「話」(証し)は本当によい機会です。教会によっては、礼拝だけで、終わると潮が引く様に、みんな帰ってしまうところもあります。
 伝道が困難な時代だからこそ、まずは足元の私たち自身の信仰者としての絆を強くしたいと思います。そこから聖霊に押し出され、福音を伝えて行くことができるように、互いに祈り合い、支え合いながら歩んで行きたいと思います。
 
2019年6月16日 聖霊降臨節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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