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「語り継ぐ信仰」 詩編71編16~18節

説教題「語り継ぐ信仰」          聖書:詩編71篇18~19節

 今年は初めて、歴代牧師の遺影を真ん中に置いてこの記念礼拝をささげることになりました。…。
 私は藤岡友幸牧師とは、残念ながら生前お会いすることがありませんでした。しかし不思議なことに、今治教会とこの児島教会で共通の信徒の方々と出会うことになりました。昨年のクリスマスに召天され、前夜式、告別式と倉敷教会で行われました。ご遺族の皆様のご希望により、児島教会のお墓にも分骨をしたいと申し出て下さり、3月21日に納骨式を行いました。
 生前私が勝手に思い浮かべていたイメージとは全然違う方でした。本来ならもっともっとこの児島教会におられたかったのではないか、と思います。しかし今から考えてみれば今治教会で、私の知っているだけでも3人の牧師を生み出されました。人間的に見れば火中の栗を拾うような今治教会への赴任でしたが、多くの幼稚園児にも囲まれ、青少年にも囲まれ、神さまの備えは火中の中にもあったと言えるように思います。
 ここにいます私たちの多くは、それぞれに長い人生の旅路を歩んで来ました。フォークソングの一節に「今はまだまだ人生を語らず」というのがあります。
今日の聖書の詩人は、老いを感じ始めて来た信仰者だと思われます。9節にも老いに言及しています。この信仰者は、直前の17節を見れば、熱心に神さまのことを語り伝えて来たようです。そして今日の個所では、年老いても、なお神さまのことを、その力強い御業を語り伝えさせてください、と祈るのです。
 先日85歳になる父に会いに京都の実家に行って来ました。6年前に母を亡くした父は、元気なときの半分くらいの体重しかなく、足腰、目等もだいぶ弱っていますが、それでも語っておきたいことがあるらしく、いろいろと、時に為になることを語ってくれました。
 私たちは、来るべき世代、次の世代に、何を語り継いでいくのでしょうか。そろそろ本気で考えないと、と思わされました。言葉でなくても、脊中で、生き様で語り継ぐ、ということもあると思います。また行動で語り継ぐ、ということもあると思います。
 藤岡友幸牧師が生涯をかけて、イエスさまのことを語り、そして次の世代に、信仰を継いで生きられたように、私たちも、それぞれにできるかたちで、イエスさまへの信仰を語り継ぐ者でありたいと思います。

2019年11月3日 聖徒の日・召天者記念礼拝  笹井健匡牧師

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