• 記事検索

RSS

「本当の私」  聖書 出エジプト記4章10~17節

 今日は収穫感謝日です。逃れの地、ミディアンでのモーセの生活は、はっきりとしたことは分かりませんが、おそらく家族にも恵まれ、また多くの収穫に感謝する、幸せなものだっただろうと思います。
 しかしそんなモーセに3章で神が顕現され、驚くべき使命を授けられるのです。ですがモーセは、自分はそんな器ではない、と断り続けます。おそらくこのミディアンの地で、これからもひっそりと幸せに暮らして行きたかったと思われます。せっかく安住の地を得たのに、それなのに、なぜ?それがモーセの気持ちだったのではないでしょうか。
 今日の聖書でも、モーセは神さまからの使命を断り続けます。ついに神さまは怒りを発して(14節)、兄アロンをモーセに示されました。実際の出エジプトは、姉ミリアム、兄アロン、そしてモーセの3人が核となってなされました。
 モーセは、とにかく自分は語るのがへただと、言いつづけています。しかし、モーセ5書最後の申命記を見ればあきらかですが、最後には非常に雄弁に多くのことを語る人間になっています。神さまは表面的なモーセを見ておられたのではありません。また「語る」ということは、他の表現することと同様、神さまが共におられて、初めて人は心からのことばを発することができるのかも知れません。
 人間はなかなか本当の私を知ることができないのかも知れません。いくら鏡を見ても、自分の中の深いところまでは分からないものです。
 また、子どもの頃の私、若い頃の私、高齢になってからの私、それらは必ずしも一致しません。いや大きく変わる人も多いのではないか、と思います。
 モーセは、独特の出自のために、おそらく相当屈折した精神的成長の過程を経なければなりませんでした。2章で、エジプト人を殺してしまったのも、寡黙な性格だったから、いきなり暴力に訴えた、と見ることもできるかも知れません。しかし、最後には大変雄弁な人になりました。それは信仰の賜物だったのかも知れません。
 私たちも、それぞれに神さまから大切な使命を与えられ、教会の救いにあずからせていただいた存在だと思います。神さまを信じ、信仰の歩みを続けて行くとき、自分でも知らなかった本当の私に出会うことができるのかも知れません。
 それぞれに神さまから与えられた賜物を生かし、本当の私を一番よく知っておられる神さまを信じて、信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。
2019年11月24日 降誕前第5主日礼拝     笹井健匡牧師

11月17日は野外礼拝のため説教要旨はお休みです。

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):