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「お言葉どおりに」 ルカによる福音書1章25~38節

 アドベント第2主日を迎えました。今日は、母マリアが天使の言葉を受け入れるところから、あらためてクリスマスの備えをしたいと思います。
 有名な個所で、受胎告知として、絵画等で一般の人々にもよく知られている場面です。しかし私たちは信仰者として、信仰者の大先輩として、母マリアをとらえてみたいと今年は思わされました。
 ガリラヤのナザレという、都エルサレムから遠く離れた地方の小さな寒村に住んでいた少女にとって、自分に天使が現れること自体、大変な驚きだったに違いありません。しかも、その御告げの内容が、おそろしく、とんでもない内容だったのです。まるで大事件にでも巻き込まれたような状況に、マリアは置かれたと言ってもいいと思います。
 そんなマリアが親類のエリサベトのことを示され、さらに神にできないことは何一つないのだとの天使の言葉を受けて、まず「わたしは主のはしため(しもべという言葉の女性形)です。」と答えています。自分が神のしもべである、という、端的な信仰告白がなされているのです。難しいことは分からないけれども自分はヤハウェの神を信じる、一人の信仰者である、との自覚がマリアの口から発せられていることは注目に値します。心から、神を信じる者だったからこそ、彼女は最終的に、このおどろくべき告知を受け入れることができたのだと思います。
 もう一つは、その告知が「この身に成りますように。」と言ったことです。他のだれかではなく、この自分の上に、神の業が起こるようにと答えたのです。
 私たちはいろいろなことを祈ります。………。しかし、自分の上に、神の業が起こるように、と心から祈っているでしょうか。他者のためのとりなしの祈りは何よりも大事です。しかしまずその祈っている主体である自分自身の上に神のご計画が、御言葉どおりに起こるように、と祈ることも同時に大事なことであることを、このマリアの言葉から教えられます。
 クリスマスというのは、神さまの最大の業であるということができるかも知れません。どんなに小さくても、ここにいます私たち一人ひとりにも、神さまのご計画があります。
 自らの上に、神さまの業が、神さまのお言葉どおりになるように、祈りながらこのアドベントのときを、クリスマスに備えて歩んで行きたいと思います。

2019年12月8日 アドベントⅡ礼拝 笹井健匡牧師

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