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「忍耐して待つ」  ローマの信徒への手紙8章18~25節

 今、私たち人類は、かつて経験したことのない危機に直面しています。人口は世界ですでに75億人とも言われ、やがて80億人になると言われています。
そしてその多くの人々が地球規模で移動することができるようになり、人も物も金も、世界中がつながっている状態です。以前なら、地域的な危機で済んだものが、今や全世界の危機になるわけです。
 また海の魚はじめ多くの生物が、人間がつくりだしたプラスチックごみによって、大変な状況にあります。また山では住むところを奪われた動物たちが人里に降りて来て、これも大きな問題となっています。
 創世記1章では、天地創造のとき、神は人に地球のことを「よろしく頼む」と言われたのだと、私は思っています。しかし現状は人と人が争い、その結果他の生命をも脅かす結果になっているように思われます。
 今日の聖書で、パウロは、被造物全体が苦しんでいることを書いています。まことの、つまり自分たちを救ってくれる神の子たちの現れるのを待ち望んでいる、というのです。そして私たち信仰者は、今の苦しい状況を、神の子とされる希望をもって待ち望んでいるというのです。
 そこに忍耐がいる、とパウロは言っているように思います。しかしパウロが言う忍耐とは、顔をゆがめて、苦しみをこらえて、というのとは少し違うのではないか、と私は思います。
 玄関ホールに掲げられているとおり、「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝」して生きて行くのです。笑門来福ではないですが、笑顔で生きていくのです。なぜなら私たちには希望が与えられているからです。だから今の現実がたとえどんなに厳しいものであったとしても、あきらめずに、忍耐して待つことができるのです。
 これから世界がなすべきことは、神の愛を知り、地球への愛を深くし、そこから、人類を含めた全被造物が幸せに生きていけるように、知恵を出し合い、協力していくことだと思います。神さまが私たち人類の歩みを愛のゆえに忍耐して見守って下さっていることを信じます。私たちもその愛に応えて、やがて救いは訪れるという希望を持って、その時を忍耐して待つ者でありたいと思います。

2020年3月15日 受難節第3主日礼拝     笹井健匡牧師

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