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「喜祈感(ききかん) テサロニケ信徒への手紙5章16~18節

 週報の表紙に、すでに4月から掲載しております、今年度の聖句を取り上げさせていただきました。今はまだ役員会からの(案)であり、正式にはこの後の、定期総会で決定されます。
 ご存知の通り、玄関の壁に掲げられた額に入った「信仰目標」の聖句です。いつもの年は、わりと聖句の案、つまり、どの聖句にするか、すぐに浮かぶのですが、今年はなかなか浮かばず、最終的に神さまから示されたのが、この聖句でした。そして、今回説教の準備をしていく中で、漢字3文字が気になり、続けて並べて見ると「ききかん」となったのです。
 今、新型コロナウィルスの危機感が世界を覆っている状況の中にあって、最初不謹慎だと思いました。しかしよくよく考えて見ると、感染症を正しく恐れるのは、一市民として大切なことですが、同時に私たちはイエス・キリストを信じる信仰者でもあります。一個人としては、正しく恐れながら、死をも打ち破られたイエスを救い主と信じる者として、また全能の神を信じる者として、神さまが今私たちに何を望んでおられるのか、もう一度考えてみたいと思います。
 2千年前、神の業は、十字架の死で終わらず、復活の喜びによって、絶望から希望へと変えられました。そのことをこそ今、私たちは深く思う必要があるように思います。
 今日の手紙は、パウロの手紙の中で最初のものです。しかしすでに大変な宣教と迫害を経験した伝道者、信仰者の言葉なのです。いいことがあったときだけではなく、「いつも」喜んで、そして神さまに顔を向けられないと思えるような時でも、自分がどんな状況にあろうとも「絶えず」祈り、そしてうれしいこと、ありがたいことだけでなく、すべてのことに、「どんなことにも」感謝するようにパウロは勧めているのです。そしてそれこそが、神さまが私たちに望んでおられることだと言うのです。
 私たちは毎日いろんな経験をします。特に今はストレスが多く溜まっている人々も多いと思います。ある意味、強い危機感を感じますが、だからこそ、この個所で言われている喜び、祈り、感謝、つまりもう一つの「喜祈感」をしっかりと心にもって、この先に必ず救いがあることを信じて、歩みを続けて行く者でありたいと思います。

2020年4月26日 復活節第3主日礼拝       笹井健匡牧師

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