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「与えなさい」 申命記15章7~11節

 今日の聖書の個所には、「与える」ということが記されています。「7年目の負債免除の年があるなら、物惜しみするのではなく、貧しい同胞に対して心をかたくなにするのではなく、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。」と8.9節に記されています。そして10節には、「彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きをすべて祝福してくださる。」と記されています。未練なく与えることができるとは自分のものとして固執することがないからであろうと思います。すべては神さまから与えられたものであると私たちが悟るなら、負債を免除し、持っているものを与えることができるのだろうと思います。
 最後の11節には「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に大きく手を開きなさい。」と記されています。現代社会において、貧しい者がいなくなるということは大変難しいことです。新型コロナウイルスが流行っている現在、経済的に逼迫している大勢の人たちがいます。政府は一律10万円を国民に支給しましたが、これは平等ではなく不平等なことだと思わされます。地方自治体が調査をして、本当にお金を必要としている人に多く与えることが大事だったのではないだろうか、と思わされます。
 また、物質的貧しさだけではなく、精神的貧しさというのもあります。
22年前に亡くなられたマザー・テレサは来日した時に、「貧しい人というのは食べ物がなく飢えている人たちだけをいうのではありません。社会から見捨てられている人たち、年老いた人たち、病気の人たち、これらの人たちも貧しい人たちなのです。また、孤独な人たち、だれからも愛されない人たち、忘れられている人たち、必要とされてないと感じている人たち、これらの人たちも貧しい人たちなのです。心を病み、助けを必要としている人たちも、貧しい人たちなのです。」と言われたそうです。マザー・テレサの言われた精神的な貧しさを持つ人に出会ったら、私たちは私たちが持っているもの、時間、心、愛を与えるように心がけたいと思います。
 経済的なものも精神的なものも、すべては神さまから与えられたものです。
私たちが与えられたものを人に与えようとすればするほど、神さまは私たちにさらに与えてくださいます。「与えなさい」という声を聴き、身近なところから与えることができるように、祈りつつ生きる者でありたいと思います。
 
               2020年8月16日 聖霊降臨節第12主日 平島禎子牧師

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