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「境 遇」 フィリピの信徒への手紙4章10~14節

 残暑お見舞い申し上げます、と言いたいところですが、まだまだ猛暑が続いております。例年ですと、結構リフレッシュした気分で迎えることができる今日の主日礼拝なのですが、今年はまだまだ猛暑の続き、という感じで少しバテ気味で迎えることになりました。
 今日の聖書でパウロは、「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」と言い、「「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」と言っています。きっとこの猛暑を乗り切るというか、猛暑下にあっても、神さまの御用を果たして行くことが可能なのだと思います。うらやましい限りですが、しかしその背景にはものすごい困難苦難の経験があったことを思います。
 見出しに、「贈り物への感謝」とあります。10節を読むと、「ついにまた」とありますので、15節以下にあるように、以前はパウロの働きを積極的に支援していたフィリピの教会の人々が、何らかの理由で、しばらく支援が出来なかったのだと思われます。久しぶりの支援にパウロは大変喜んだことでしょう。しかし「物」「物資」をもらえたことがパウロの喜びの中心ではありませんでした。そこに込められた「思い」「信仰」をパウロは何よりも喜んでいるのだと思います。14節の言葉にそのことがにじみ出ているように思います。
 境遇というと、多くの場合、生まれた環境等を指す場合が多いのですが、その後の人生において、特に波瀾万丈の人生を生きたパウロにとっては、ほんとに様々な状況に置かれ、苦労を乗り越えて来たからこそ、その一つ一つを境遇と呼び、満足しているのだと思います。
 私たちも、それぞれそれなりにいろいろな体験をして来ました。そして時にその置かれた境遇のあまりの厳しさに、苦悩し、怒り、絶望を覚えたこともあったかも知れません。しかし、そうした経験を繰り返し、最終的に今こうして生きていること、そこから見返すならば、どんな境遇であったとしても、パウロのように満足することができ、神さまによって、もはや不可能なことなど何もない、という境地にまでいたることが出来るのかも知れません。
 まずはこのコロナ禍のマスクをつけた猛暑を乗り越えて行きたいと思います。そして後になって振り返って、あの境遇にも勝利することができたなあ、と笑いながら話せる時が来ることを信じて歩んで行きましょう。

         2020年8月30日 聖霊降臨節第14主日礼拝 笹井健匡牧師

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