• 記事検索

RSS

「求めなさい」 マタイによる福音書7章7~12節

説教題「求めなさい」          マタイによる福音書7章7~12節
 
 私自身、今までの人生を振り返ると、どちらかというと、いや、かなりな程度で受け身、な歩みをして来たように思います。自分で選び取る、とか、どうしてもこうしたいとか、そういうことは非常に少なかったように思います。
 そんな私にとって今日の聖書は、あまり近くない、どちらかというと遠い聖書の個所だったように思います。しかしなぜか今、「求めなさい」というこの聖書の言葉が心に響いて来ているように思います。アラカンになって、とも思いますが、本当は、還暦が近づいて来ているからこそ、なのかも知れません。
 信徒時代によく聞いた説教は、求めれば必ず与えられる、というものでした。ただし、それが神さまの御心であれば、という但し書きがつきますが。それと求めたものとは違うものが、本当はこれがのぞみだったのだろう、というかたちで実現することが多い、そしてそれを後からよく理解できる、というようなものが多かったように思います。
 あと一つは、求めたものは、すでに与えられた、つまり絶対に与えられることを信じ切る、ということです。だから求める祈りは過去形で祈りなさい。そういうメッセージも聞いたことがありました。
 しかし最初に言いましたように、元来が受け身でありますので、なかなかそういうこととは縁がなく生きて来たように思いますが、しかしよくよく考えて見ると、自分の心の深いところで望んでいたことは、ことごとくかなえられているように思わされます。神さまは、求める前から、私の欲しいものをご存知であり、そしてそれは定められた時に実現して来たように思います。
 マタイでは、結論として、「人にしてもらいたいことは、人にしなさい」と記していますが、ルカの方を見てみると、「求める者に聖霊を与えてくださる」という結論を記しています。
 私たちは、どうしても目の前の、目に見えるものを求める傾向がありますが、しかし本当に重要なもの、大切なものは、「目に見えない」のだと思います。
 「求めなさい」と言って下さる神さまに、私たちはもう一度自分の心の奥深いところをよく調べて、そしてその本当の思い、究極の願いをこそ、神さまに祈り求めて行く、そういう信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

         2020年9月27日 聖霊降臨節第18主日礼拝 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):