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「イエスを見つめて」 ヘブライ人への手紙12章1~3節

 先週の主日礼拝は、聖徒の日、召天者記念礼拝でした。コロナ禍にあったため、いつものメンバーで礼拝をささげる予定でしたが、正直言って少し寂しい思いをもっていました。するとKさんたちが3人で来て下さり、またOさんも来て下さり、心の中で喜びを覚えている私がいました。本当は…。
 今日の聖書は、「おびただしい証人の群れ」が私たちには存在することを告げています。ともすれば厳しい現状の中で心を暗くしがちですが、私たちには天上に上げられた多くの姉妹兄弟たち、そしてそのご遺族の方々がおられることを改めて思わされます。実際には、目に見えない多くの存在を私たちは知っていますし、そうした存在を覚えて、言わば共に生きているように思います。
 著者は、まだ厳しい迫害を経験したことのない信仰の友に対して、先達たちの労苦と働きを示すことによって、あなたたちも、どんなことがあっても乗り越えて行けると言いたかったのかも知れません。その時に大切なのは、先達たちがそうであったように、イエスを見つめて生きて行くことです。イエスを見つめて生きていけば、どんなことがあろうとも、それを乗り越えて、信仰者として最後まで生き抜いていけるのです。
 本来なら、最も喜びに満ちた人生を送ることが可能であったイエスさまは、私たちの救いのために、最終的には受難の道、しかも十字架の死を、忍耐をもって選び取って下さったのです。ここに愛があります。十字架の愛です。
 私たちが生きている「今」という時代も、違う意味で大変厳しい状況にあると言えるかも知れません。しかし私たちは、イエスさまによって神が愛であることを知らされた信仰者です。信仰の創始者、完成者であるイエスさまを見つめて歩むならば、恐いものなど何もないのです。
 これからも、どのようなことが待ち受けているか分かりませんが、共に励まし合いながら、天上の姉兄を偲びながら、そしてイエスさまを見つめながら、人生の旅路を最後まで、笑顔で歩み続けて行く者でありたいと思います。

              2020年11月8日 降誕前第7主日礼拝 笹井健匡牧師

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