• 記事検索

RSS

「極めて良かった」 創世記1章31節

 創世記の始めには、「天地創造」の物語が記されています。地球の大自然、全生命は、科学的にいうと、ビッグバン、地殻変動、人間を含む動植物の進化などによって、現在に至っていると言われています。しかし、信仰者は、物語的なものであるが、天地創造の業を神さまがなされたということを信じていますが、それは決して科学を否定するものではありません。例えば、教会堂の建築を考えると、建築士、建築作業に携わる人たちがなしてくれるのですが、それらの人たちに感謝をすると共に、信仰的には神が教会を建てられたという思いをもち、その会堂を神さまに捧げるという献堂式を行ないます。そのことを考えると、神さまがこの世界を造ってくださったと信じるのは、おかしなことではないと思います。
 今日の聖書、創世記1章31節には「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」と記されています。神さまは何もない暗闇から、光、自然、植物、動物を造られました。そして、最後に人間を造られました。その業は6日かかりました。その中に「神はそれを見て良しとされた。」という言葉が6回記されています。しかし、神さまは最後にご自分の姿にかたどって創造された人間については、「良しとされた。」という言葉が記されていません。しかし、神さまは、人間に神が造られた自然、生物を支配するように、という祝福の言葉を述べられました。人間は他の生物たちと違って、神の似姿い造られました。人間はその造られたままの形にとどまるのではなく、大地を大海を治め、成長していく存在なのだ、ということであるかもしれません。
 しかし、現在に至るまで、人間は自然界を保全するどころか、破壊してきていると思わされることもしばしばです。環境破壊をし、絶滅危惧種と言われる動植物も増えてきています。そのような自然界をどのように守るのか、ということも考えなければなりません。
 神さまは、造られたすべてのものを御覧になり、「極めて良かった」と言われました。しかし、現在は神さまが良しとされた世界を壊すような在り方で、
人間は生きているのかもしれません。「極めて良かった」という世界を回復させるように、私たち一人ひとりが「極めて良い存在」として、創世記の始め、
天地創造の業に心をよせて、自分たちにできることをなしていく者でありたいと思います。

          2020年11月15日 野外礼拝(於:鷲羽山)誕前第6主日 平島禎子牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):