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「主にある喜び」 サムエル記上2章1,2節

 クリスマスはすべての人にやってくる喜びの出来事です。そのクリスマスの喜びを最初に経験したのはイエスさまの母となるマリアでした。ルカによる福音書1章47節から55節に「マリアの賛歌」が記されています。マリアは主にある喜びを高らかに歌い上げています。その「マリアの賛歌」のベースになっているのが、今日の聖書サムエル記上に記されている「ハンナの祈り」です。
 ハンナは子どもを与えられるまでは、悲しみの中にいました。ハンナにはエルカナという夫がいましたが、エルカナにはもう一人ペニナという妻がいました。ペニナには娘も息子もいました。今の時代と比べると、ハンナの気持ちはいかばかりであったかと思います。サムエル記上1章10節には、「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。」と記されています。ハンナは自分の苦しみを神さまに激しく注ぎ出したのです。そして、子どもが与えられたら、その子どもを神に捧げるという誓願を立てます。そして、神さまはハンナの祈りを聞かれました。ハンナは身ごもり、男の子を産み、その子をサムエルと名付けました。ハンナの喜びはいかばかりであったかと思います。ハンナはそれまでの人生の苦しみや悲しみから解き放たれ、神さまがハンナを愛しておられることを知り、喜びの声を上げずにはいられなかったと思います。そして、ハンナはその子どもが乳離れするまで手元に置き、それからはその子どもを神さまに捧げるため、神殿の祭司のもとに連れて行きました。ハンナはその後で、主にある喜びの祈りをなしたのです。
 ハンナの祈りの主題は、傲慢を打ち砕かれ、自分の力ではなく神の力に依り頼む、「主にある喜び」です。ハンナはただ神のみに頼り、自分の苦しみ、悲しみを神のみに注ぎだしました。そして、その祈りを神さまは聞いてくださったのです。私たちも一人一人、持てる悩みや苦しみは違うかもしれませんが、人間の知恵に頼らず、どんなことでも神さまに寄り頼むということをしていかなければならないと思います。神さまの恵の中で生き、正直に自分の持っている苦しみや悲しみを神さまに申し上げるならば、人知を越えた神の平和が、喜びが私たちにも与えられるのです。クリスマスの出来事、イエスさまの誕生は、母マリアに訪れた突然の不思議さの中から生まれた喜びの出来事でした。イエスさまの誕生から約2000年経った現代においても、喜びの出来事であり、人間が誰一人想像できなかった救い主の誕生の出来事です。
 私たちも主にある喜びを喜び、神さまに祈ったことは必ず成るということを信じ、今年もイエスさまのご降誕を待ち望みたいと思います。
2020年12月13日 アドベントⅢ待降節第3(降誕前第2)主日 平島禎子牧師

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