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「見ないで信じる」 ヨハネによる福音書20章~29節

 イースターを迎えて1週間が経ちました。主の復活の喜びで心は満たされているでしょうか。それとも早くもこの世のさまざまな事柄に心を奪われ、暗くなってしまっているでしょうか。いやいやそもそも復活の喜びをまだ十分に味わえていない、と言われる方もあるかも知れません。
 2千年前にも、イースターの喜びからひとり取り残された弟子がいました。主イエスはその弟子トマスを救われる行為をとおして、後の時代を生きる多くのクリスチャンたちに大切なことを教えられました。
 「見ないで信じる」ことです。イースターの日、他の弟子たちと共にいなかったトマスに対して、自らの傷跡を見せて、信じるように言われました。トマスはどんな思いだったでしょうか。
 イエスの死後、弟子たちはユダヤ人を恐れ、家に鍵をして閉じこもっていました。しかしトマスは外に行っていました。一番勇気があったのかも知れません。最後に大役を果たすため、神さまはあえてトマスを他の弟子たちから引き離されたのかも知れません。「わたしたちは主を見た」という復活の証言は、トマスにとって面白いものではなかったと思われます。悶々として1週間を過ごしたトマスに復活の主が顕現されます。トマスの心を見透かすように、傷跡を見せられるイエスさま。トマスは主イエスを見捨てて逃げ去ったこと、主イエスがただひとり十字架につかれたことをあらためて目の当たりにし、懺悔の思いがこみ上げたかも知れません。イエスの御傷はトマスの心を根底から突き刺し、そして救ったのだと思います。
 「わたしの主、わたしの神よ」という信仰告白をしたトマスに対して主イエスは、見ないで信じることの大切さを伝えられました。
 見たから信じるのではなく、他の弟子たちの「わたしたちは主を見た」という証言を聞いて、信じる者になりなさいと言われたのです。見て、信じるのではなく、見ないで、聞いて、信じる者になる、そういう人こそが幸いなのです。この福音書を読んだ多くの人々、また耳で聞いた多くの人々がイエスさまの復活を信じました。
 今を生きる私たちも、見なくても、聞いて信じる者となり、復活の主と共に、新しい道を歩んで行く者となりたいと思います。

               2021年4月11日 復活節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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