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「 時 」 コヘレトの言葉3章1節

 地上を歩んでいます私たちにとって、“時”というのは不思議なものです。しかし、さまざまな制限がある、有限な地上での人生には、必要不可欠なものと言えるかも知れません。
 先日、19日(月)受洗40年の記念日を迎えました。40年前の、洗礼を受けたばかりの私は、まさか今、このような人生、信仰生活をしているとは想像もできないでしょう。
 また、今治教会でいわゆる「伝道師」を始めてから30年になりました。やはりそのころの私には、今こうして岡山の児島で牧師をしているのも、想定外のことでしょう。
 そして25年前、筑豊の宮田教会で平島禎子牧師と共同牧会を始めました。骨をうずめるつもりで始めたので、今違うところに生きているのは本当に不思議な気がします。
 みなさんにもそれぞれ、人生における大切な“時”がおありだと思います。よく人生を旅にたとえますが、そういう意味では私たちはみな、時の旅人と言えるかも知れません。
 神さまは私たちに大いなる自由を与えて下さいましたが、それと同時に、大切な節目にあたる“時”も備えて下さったのだと思います。あまりにも自由が大きすぎると手にあまります。ある程度の予定というか、青写真のようなものとして一人ひとりに最も良い“時”をあらかじめ定めて下さったのかも知れません。
その代表は、生まれる時、死ぬ時です。
 私たちの人生をスタートさせ、そして今日まで豊かに守り導いて下さった神さまは、これからもきっと“時”に応じてふさわしい助け、導きを与えて下さいます。人の時を超えた神の時があり、そしてその時、神の恵みは私たちに十二分に注がれることを信じて、今のこの時を感謝と希望をもって歩んで行く者でありたいと思います。

              2021年4月25日 復活節第4主日礼拝 笹井健匡牧師

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