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「心の在り方」 マルコによる福音書7章14~23節

 コロナ禍によるステイホームが広がったことで、ライフスタイルが大きく変化しました。その中の一つに、食生活があるように思います。それまで外で飲食していたものを自宅で食べるようになりました。

 人類は、その歴史の中で、豊かな食文化、食生活を築き上げて来ました。地域、民族(宗教)等によって、食べてよいもの、食べてはならないものが決まっていたりします。ユダヤ教でもそうです。レビ記11章には、あらゆる動物に関する規定が記されています。そんな中、キリスト教は2千年も前に、「なんでも食べていい」に舵を切りました。その根拠が、今日の聖書のイエスさまの言葉です。汚れないように、手洗い、その他を固く守っていた当時の社会。イエスさまは、すべての食べ物は、腹の中に入り、外に出されるだけだと言われました。徹底したリアリズムを感じます。そしてイエスさまが問題にされたのは、人間の心の方でした。そこからこそ、悪が出て来て、人を汚す、と言われたのです。

 もともとは大切な意味のあった行為でも、時の経過とともに、その内実が失われ、形骸化して、形だけが意味不明のまま、残ってしまっている、こういうことは結構あります。そんな世にあって、イエスさまが目を止められたのは、人の心の在り方でした。

 ファリサイ派の人々と同じように、私たちも、意味もなくしている行為というのが結構あるように思います。時に、それは体に染みついてしまい、ほとんど無意識にしてしまっていたりもします。そんな中にも、もしかしたら、人を汚してしまっているものがあるかもしれません。もう一度、自分自身を吟味したいと思います。

 また、昔の人の言い伝えだけではなく、今の人の言い伝えにも注意したいと思います。言われている事柄の、核心部分は何なのか、大切なポイントは何なのかいつも注意していたいと思います。

イエスさまをしっかりと見つめて、自らの心の在り方を常に点検し、ことの真相をしっかりと見極めながら、信仰の歩みを続けて行く者でありたいと思います。

 

2021年8月29日 聖霊降臨節第15主日礼拝 笹井健匡牧師


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