• 記事検索

RSS

「 感謝 」 詩編67篇

今週の木曜日、25日が今年の収穫感謝祭(サンクスギビングデイ)です。清教徒がアメリカへ渡った1620年、大変厳しい冬の状況をアメリカ先住民に助けられたことを感謝して、翌1621年の晩秋、先住民を招いて多くの収穫を共に祝った美しいエピソードがもとになっています。(中略)

収穫感謝を祝う習慣は、全世界にあり、もちろんユダヤ社会にもありました。今日とりあげました詩編67篇のほかにも、詩編85篇にもその影響があります。85篇では捕囚からの解放、平和と正義の回復が歌われた中で、おそらく取り戻された日常の象徴として、収穫感謝が祝われています。

67篇は神からの祝福を求める祈りから始まります。これは民数記6章24~26節のアロンの祝福の祈りから来ています。多くの教会の礼拝の最後の方に、「祝祷」があります。これは祝福の祈りです。通常コリントⅡ13:13を用いますが、冠婚葬祭等特別な時には、このアロンの祝福の祈りを用います。

今日の詩編では、まず神の祝福、恵みを求めるのです。しかしそれは不足しているからではありません。すでに祝福と恵みが先行しているのです。そして続く4~6節では、感謝することが繰り返し述べられています。「お祈り」の最後の言葉は意外と興味深いものです。イエスさまを通して祈ることは共通していますが、その前の部分、私はいつからか「この感謝と願いを」と祈るようになりました。たぶん感謝が足りないからだと思います。少し唐突な感じで、7節の「大地は作物を実らせました。」と続きます。そしてまた祝福を求めて、この詩編は終わります。

収穫感謝が神さまへのあらゆることに対する感謝の中に位置づけられているのです。まずはじめに神さまが祝福と恵みを与えて下さるのです。それに対しての心からの感謝をささげます。その中の大切な感謝のひとつに収穫感謝もあるのです。

現代では社会構造が複雑化し、第1次産業が見えにくくなり、食物への感謝が感じられにくくなっています。教会ではこれからも食前の祈りが祈られます。5千人の給食でイエスさまはパンと魚を「感謝して」、人々に配られました。私たちも、食事の時、その食物の収穫に感謝していただきたいと思います。その小さな感謝が少しずつ大きな感謝となり、世界に感謝の輪が広がるように祈りたいと思います。

 

2021年11月21日 収穫感謝日礼拝 笹井健匡牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):