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「命こそ大事」 マタイによる福音書6章25節

 今日は、沖縄本土復帰50年の節目の日です。金曜日の朝ドラで、主人公は、1972年5月15日に東京へ旅立ちました。バスを待つ停留所で、妹の歌子が「私たちこれからもっと幸せになる」と言った言葉が心に残りました。

 1993年2月16日(火)伊江島にある「命どぅ宝の家」で阿波根昌鴻さんから約2時間にわたりお話を聞くことができました。戦前戦中戦後にわたってたくさんの貴重なお話を聞きましたが、その中で、命がいかに大事であるかということを、強烈に受け取らせていただきました。

 今日の聖書は、有名な「空の鳥、野の花」の冒頭の部分です。イエスさまが活動された時代は、確かにローマ支配下の過酷な政治状況でしたが、それでも、いやだからこそ、イエスさまは生きとし生けるものに目を向けさせられたのではないかと思います。すべての生き物は、神さまの愛によって美しく、たくましく生きているではないか。だとすれば、人間も、いや人間こそ、もっと大丈夫なはずではないか。すべての思い煩いを捨てて、神さまを信じて生きよう、と。

 そして、命が一番大事であることを教えられました。明日の食べ物に事欠くどころか、今日の食べ物すら確保できない、そんな状況を生きていると、食べ物の方に心が支配されてしまい、最も大事な命を忘れがちになる、それでは本末転倒です。そうではなく、命の源である神さまに心を向け、その恵みと導きを求めて生きなさい、と教えられたのだと思います。

 現代は飽食の時代です。戦時下とは違う意味で、食べ物に心を奪われています。しかしもしかしたら、また食べるのが大変な時代になるかも知れません。

 どのような時代になろうとも、命あっての物種、生きていればこそ、いろんな経験をすることができるのです。楽しいこと、うれしいことだけではなく、悲しいこと、つらいことも含めて味わえるのは、命あってこそです。

 イエスさまが教えらえたように、そして先の戦争から学んだように、命こそ最も大事であることをしっかりと覚えて、信仰の歩みを前に進めて行く者でありたいと思います。

 

       2022年5月15日 復活節第5主日礼拝 笹井健匡牧師


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