「風」 使徒言行録2章1~4節

 ペンテコステおめでとうございます。

 五旬祭(ペンテコステ)の日、 イエスさまの弟子たちは全員一つになってエルサレムのある部屋に集っていました。その時に、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、家中に響いた」(2節)のです。その出来事は、予測不可能な突然のものでありました。それは「突然」の「風」であったのです。「風」という言葉は、「プノエース」というギリシア語で、「風、息」という意味があります。4節に記されている「霊」、「聖霊」を表すギリシア語は「プネウマ」で、「風、息、霊」という意味があります。異なる言葉ですが、この二つの言葉は同義語として捉えることができます。このことから、風が吹いたり、鳴ったりするのは、「霊」を感覚的に示す徴であるということが表されているのではないかと思います。

 そして、次に「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまる」ということが起きました。「炎のような舌」も「聖霊」を意味しています。ここで特筆されていることは、霊が一人一人の上に与えられたということです。一人一人の上に聖霊が降ったということはとても大切なことであり、互いに違いを認め合いながらも、その違いを生かし合うということが大切なことではないかと思います。

 ヨハネによる福音書3章8節には、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くか知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」と記されています。聖霊は思いのままに働くのだと思います。どこから来たかはわからなくても仕方ありませんが、どこへ行くのかは知りたいものです。しかし、聖霊に導かれて生きるということは、どのようなところに行くのかわからず、霊に導かれるままに、神さまに信頼して生きていくことではないかと思います。

 聖霊の働きは「風」の働きと似ています。私たちをやさしく包む風、時に激しく吹きすさぶ風、これらの風に身を委ねて生きていくものでありたいと思います。教会も聖霊の風が吹くままに、存続していくものであります。児島教会がこれから先どのようになるのかは、誰も知りません。しかし、どうなるかはわからないけれども、児島教会にいる以上は、教会が成長していくことを望んでいきたい、そのために聖霊に導かれながら、なすべきことをなしていきたいと思っています。

 今日はペンテコステ、教会の誕生日です。大きな風が吹き、炎のような舌が一人一人に降った、聖霊降臨の出来事が起きた日です。今日のこの日、私たち一人一人の上にも聖霊が降ることを信じ、聖霊によって満たされる教会であることを再確認する日でありたいと思います。神さまのもとから吹いて来る風を受け、それぞれの賜物をいかしあう教会であるよう祈る者でありたいと思います。

     2022年6月5日 ペンテコステ 聖霊降臨節第1主日 平島禎子牧師


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