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「喜んで与える」 コリントの信徒への手紙二9章6~15節

 今日の聖書の箇所は、コリント教会からエルサレム教会への献金について書かれています。献金をする時は、不承不承ではなく、また強制されてするのではなく、自分の心が決めたとおりにしなさい、というのです。そして、「喜んで与える」人を神さまは愛してくださるのだ、と7節に記されています。寛大に気前よく喜んで献金する人には、神さまは豊かに報いて下さるのであると、パウロは言うのです。

 12節、13節に記されている「奉仕の働き」、「奉仕の業」というのは「献金」のことを意味しています。エルサレム教会の人々はコリント教会の「奉仕の業」がもたらすものは、キリストの福音を従順に公言していることへの神の賛美であり、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることは、神をほめたたえることであるというのです。献金の業が、福音に対する従順と福音の宣言につながるのだというのです。

 「献金」というものは「喜んで与える」ものであると改めて思わされました。いつの間にか義務化している自分がいることにも気づかされ、神さまに感謝して、喜びの心をもって献金をなしていかなければならないと思わされました。

 今日の聖書は献金のことが記されているのですが、献金に限らず、自分の人生を「喜んで与える」ということをなした人たちが大勢います。その中でも、アリス・ぺティ・アダムス、留岡幸助、山室軍平と共に岡山四聖人と言われている石井十次のことを思わされます。石井十次は児童福祉の父とも言われています。石井十次は、宮崎の出身ですが、熱心なクリスチャンの医師と出会い、現在の岡山大学医学部へ入学し、医師になることを決意します。そして、現在の日本キリスト教団岡山教会で金森通倫牧師より洗礼を受けます。十次が医学実習をしていた診療所の隣に、貧しい巡礼者の宿があり、一人の子どもを引き取ることになり、さらにまた二人の孤児を預かることになりました。やがて孤児救済のための「孤児教育会」の看板をあげるようになりました。「孤児教育会」は「岡山孤児院」となり、孤児の数は徐々に増えていきました。その後、天災による孤児たちを引き取り、岡山孤児院の孤児数は1200名にのぼったそうです。孤児院の経営は苦しく、困難はありましたが、十次は情熱をもって突き進んでいきました。十次の精力的な活動は人々に感銘を与え、児童福祉という概念と共に、徐々に賛同者や協力者を増やしていきました。 (―後略―)

 十次の人生を思う時、誰に強制されたわけでもなく、自分の心の中から湧き出てくる思いを大切にして、児童福祉のために自分の人生を「喜んで与える」人であったと思わされます。

与えるものはお金に限りません。自分の人生の時間を喜んで与えるということが本当に大切なことであると石井十次の一生から思わされたことでした。

 私たち一人一人、心の底から「喜んで与える」ということをなしていく者でありたいと思います。心が喜びに包まれ、日々の生活を喜びをもって歩んでいく者でありたいと思います。

     2022年9月25日 聖霊降臨節第17主日 平島禎子牧師


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