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「愛と平和」ゼカリヤ書9章9~10節

 今日、8月7日は、私の父方の祖母の命日です。30年になります。平島禎子師と結婚する半年前に亡くなりました。しかし、病院のベッドで、二人は対面しています。話し好きだった祖父とは真逆で、ほんとにしゃべらない人でした。子ども心にとても怖い印象が強かったですが、今思えば、ほんとに大変な中を生き抜いた人生だったのだなあと思います。最初の子(私の父)が1934年に誕生していますので、戦前、戦中、戦後に6人兄妹を産み育てたことになります。

 今日は平和聖日です。2月24日に始まった、ロシア・ウクライナ戦争が続いている中で迎えることになってしまいました。

 旧約の神は、一見戦争の神のような印象を与えます。今日の聖書でも、1~8節はまさにその印象です。しかし、旧約聖書全体が言わんとしていることは、争い、戦いのこの世を、真の平和な世にすることこそが、神さまの働きだということです。そのためにこそ、律法と預言も存在するのです。

 9~10節は、まさに平和を実現する神の働きが記されているところです。ここに預言されている新しい王は、軍馬ではなく、ろば、しかも子ろばに乗って来るのです。そして武器を絶ち、平和を告げます。イスラエルだけではなく、諸国の民へ、地の果てまで平和を実現するというのです。

 イエスさまは、まさにこの姿で、エルサレムに入城されました。ルカによる福音書19章41節以下によれば、その時イエスさまは涙を流されたのです。平和への道を見ることができていない、エルサレムの現状を嘆かれました。

 イエスさまの時代、多くの指導者が反ローマを掲げて武装蜂起しました。しかし武力によって解決しようとしても、より強力な武力をもった相手にはかなわないのです。そして最後は、破滅的な状況に陥ってしまいます(43・44節)。

 そんな中、イエスさまはただひとり、愛を説かれました。徹底的に愛して行くことによってこそ、真の平和は実現する、これがイエスさまの信仰であり、人類へのメッセージなのだと思います。そしてイエスさまは最後の最後まで愛の道を貫いて、十字架へと歩まれたのです。

 不穏な空気が支配する今の時代にあって、もう一度、愛こそが真の平和を実現することを、信仰をもって、勇気をもって、イエスさまに従って宣教して行く者でありたいと思います。

 

   2022年8月7日 平和聖日(聖霊降臨節第10主日)礼拝 笹井健匡牧師


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