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「主の僕」 イザヤ書42章1~4節

世の中には、面白いことを言う人がいるもので、明治維新(1968年)から敗戦(1945年)まで77年、そしてそこから2022年まで77年、これから大きく時代が変わる、と。

審議(真偽)はさておき、今が混沌の時代であり、ある意味「産みの苦しみ」の時代であることは確かなのかも知れません。そうであるならば、もっと大きな節目、そうですわたしたちの主イエスの時代から2000年の今の時代、わたしたちクリスチャンこそ、その原点をもう一度見直してみたいと思います。

福音書のイエスさまの言葉にはイザヤの預言が多く登場します。イエスさまにとって、最も大きな影響を与え、その歩みを支えたのは、「主の僕」であったのではないかとわたしは思っています。以下の4か所があります。

①   主の僕の召命 42: 1~ 9

②   主の僕の使命 49: 1~ 9

③   主の僕の忍耐 50: 4~11

④   主の僕の苦難と死 52:13~53:12

これらは、もともと特定の個人(王、預言者等)を指す、イスラエル民族を指す等、学者の意見はさまざまですが、この4つは見事に起承転結していて、わたしは十字架へと歩むイエスさまの背中を強く押したと思います。

今日の聖書の、叫ばず、傷ついた葦を折らず、暗くなってゆく灯心を消さない、その教えを島々(辺境の地にある人々)が待ち望んでいる、というのです。今までの王や預言者とはまた全く違う存在がここによく示されていると思います。

この、大きな愛に満ちた存在は、最後に、自らの苦しみの実りを見、満足するのです。そこまで人々を徹底的に愛した存在であることがよく分かります。

イエスさまは、まさにこの、真の主の僕として、その人生を歩み抜かれました。そして今度は、そのイエスさまを主と信じる者たちが、新しい「主の僕」としてその歩みを始め、2000年の時を経て、わたしたちにつながっているのです。しかもイエスさまは、「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。(省略)わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネ15:15)と言われました。

イエスさまは、救い主であると同時に、友でもあるのです。いや、友となってわたしたちを救って下さる方と言った方が正確です。僕を友とされるイエスさまを信じて、これからも主の道を歩んで行く者でありたいと思います。

 

     2022年8月21日 聖霊降臨節第12主日礼拝 笹井健匡牧師


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