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「日々新たに」 コリントの信徒への手紙二4章16~18節

 教会学校が盛んだった頃は、9月の第1日曜日は、新起日と言って、夏休みが終わり、二学期が始まって、気持ちも新たに、遠くにクリスマスを見据えながら新しく歩み出す、という感じでした。最近ではもうすでに夏休みが終わり二学期が始まっている学校も多いようです。また残暑が厳しいため、9月と言っても新しい季節、秋を感じることが難しいように思います。

 私たち人間は、暦など、いろんなことを用いて、気持ちを新たにします。最近ではサウナで「ととのう」のが流行っています。私達は日々、気持ちをリフレッシュして生きているのです。

また肉体も表面的には、老化して行くところだけが、目につきますが、実際には多くの細胞が日々新たに生まれ変わっているのはご存知の通りです。そういう意味では、肉体も日々新たにされていると言えます。

 今日の聖書は、「外なる人」と「内なる人」と言う印象的な表現が記されているところです。パウロがよく使う言葉に置き換えると、「肉」と「霊」ということになります。しかし直前のところでは、「体」と「イエスの命」と記しています。そうすると「外なる人」というのは、体も頭も心も全部含めた、生きている自分自身全体を表していると言えます。つまり、肉体も衰え、頭脳も衰え、気力も衰えるということです。しかしそんな中、唯一、日々新たにされて行くのは、イエスの命をいただいた私たちの霊だと言っているのかも知れません。

 イエスさまから新しい命をいただいた私たちは、その他の全部がたとえ衰えていくとしても、主にある命(霊)だけは、日々新しく成長して行くのです。

今の時代の信仰者の生き方としては、見える世界を誠実に生きながらも、見えない世界を信じて、いつか神さまのもとに帰るその時まで、自らの最も深い部分を磨きながら生きて行く、ということかも知れません。

 この世の様々な情報に一喜一憂するのではなく、神さまの喜ばれる生き方をイエスさまにつながりながら、続けて行く者でありたいと思います。

 

    2022年9月4日 聖霊降臨節第14主日礼拝 笹井健匡牧師


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