今年もアドベントを迎えました。クリスマス、主のご降誕の日まで、心の備えをなして行きたいと思います。
教団の教会暦で、アドベントⅠの主日は、今日のイザヤ2:1~5になっていました。有名な個所です。特に、平和について、現代でも大きな示唆と指針を与えられ続けている個所です。現在の世界の状況を思います。
今回あらためて読み直してみて、心に引っかかったのは、4節の「戒め」という言葉でした。「預言」というと、神から預かった言葉ですが、その内容が未来に関することが多いので、いわゆる「予言」としても受け取るわけです。しかし少し違う角度から見てみると、それは私たち人間に対する「戒め」でもあると思わせられました。
神とイスラエルの民の間柄の根底にある重要なものの一つに「十戒」があります。名前の通り、十の「戒め」です。神は、イスラエルの民の再出発にあたって、最も大切な約束、契約として、「十戒」を定められました。
その後のイスラエルの歴史の中で、民が神に背き、神を忘れて危ない方向に歩んで行く時、神は預言者を送られました。そしてその時々に応じた「預言」を与えられました。その「預言」は「戒め」でもあったのです。
以前、礼拝でお話しましたように、ミカ書にも同じ預言が記されています。ほとんどが同じ内容なのですが、少しだけニュアンスが違うところがあります。それがこの4節の「戒め」にかかわるところです。ミカでは「戒め」の対象が明らかに、イスラエル周辺世界の列強国です。それはそれでミカらしい、意味深いものですが、イザヤは「多くの民」と、より一般化して記します。政治的な配慮の匂いもしないではないですが、肯定的に捉えるならば、より普遍化することによって、すべての民、すべての人間に対する「戒め」と読むこともできるのではないでしょうか。
ミカ書とイザヤ書に記された、この平和の預言は、未来の予言であると同時に、今を生きる人間に対する「戒め」でもあります。神の大いなる愛から出た「戒め」を真摯に受け取り、平和を祈りたいと思います。
イエスさまはたったひとつの戒め「互いに愛し合いなさい。」を与えて下さいました。究極の「戒めの預言」だったと思います。その救い主イエス・キリストを迎えるべく、アドベントの歩みを一歩一歩進めて行きましょう。
2024年12月1日 アドベントⅠ(降誕前第4主日)礼拝 笹井健匡牧師