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「マリアの信仰」 ルカによる福音書1章26~38節

 イエスの母となるマリアは、ガリラヤ地方のナザレという町に住んでいました。ガリラヤのナザレからよいものは出ない、救い主は出ない(ヨハネ1・46、7・41)というのがユダヤ社会の常識でした。しかし、神さまは、ガリラヤのナザレの町を選ばれたのです。 

 マリアは結婚を控えた娘として、平凡な日々を送っていたことだと思います。マリアの夫となるヨセフはダビデ王の家系の人でしたが、大工を生業とした一般庶民として生きていました。しかし、そのような日常を破る出来事が起きようとしているのです。

 天使ガブリエルがマリアのところに現われました。マリアは、天使の言葉を聞いて、胸騒ぎがして、…思いめぐらしていた」(29節口語訳)のです。天使は「恐れるな。」とまず言い、マリアが選ばれた女性であること、神から恵みをいただくにふさわしい女性であることを宣言するのです。そして、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。…。」(31節)と言ったのです。マリアは「どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34節)と答えました。処女が子どもを産むなどあり得ないことです。マリアはその言葉を聞いて思いめぐらしていたかもしれません。どうしてそんなことがあり得るだろうか、あり得たとしても、結婚もせずに子どもを宿すことが公になったら、姦通の罪で石打ちの刑に処せられ、殺される、天使が現れて子を宿すと告げられたと言っても誰も信じないだろう…などと考えていたかもしれません。しかし、天使は、マリアの親類のエリサベトが高齢なのに身ごもり、もう6か月になっていることをしるしとして語り、「神にできないことは何一つない。」と語りました(35‐37節)。神さまの業は人間がはかり知ることができないものであるのです。「神にできないことは何一つない。」という言葉を聞いて、マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)と答えました。

 マリアは天使の言葉を聞き、平凡な娘から神への信仰を厚くする一人の女性へと変えられていったのではないかと思います。世間一般の人から、また婚約者のヨセフから姦通の罪を犯したと思われるかもしれません。しかし、そのことをもマリアは神に委ねて、神の子の母となる覚悟を命がけの信仰をもってなしたのだと思います。

 私たちにとって、主イエスの誕生は喜びであります。しかし、そのイエスが誕生されるために、一人の女性マリアの神への信仰が強くあったということを改めて心に刻まなければなりません。そして、マリアのように「神にできないこことは何一つない」という言葉を信じて、どんな困難な目にあっても、神さまは救い出してくださる力があるのだ、神さまにできないことは何一つないのだ、ということを信じていきたいと思います。

 アドベントのこの時、イエスの母となるマリアの信仰を思い、心を強くされ歩んで行く者でありたいと思います。

2024年12月8日 アドベントⅡ 待降節第2、降誕前第3主日 平島禎子牧師


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