今年はイースターが遅い(4月20日)関係で、降誕節が長いので、ゆっくりとイエスさまの誕生からの足跡をたどることができます。
今日の聖書、マタイ福音書は、マルコ、ルカに比べイエスさまの伝道開始を少し詳しく記述しています。またマタイは、イエスさまの登場を旧約の預言の成就として記します。
ガリラヤは、歴史的にさまざまな困難を経験してきました。外国人による侵略を受け、混血がすすみ、ユダヤ教も試練を経験しました。イエスさまの時代は、その言わば異教の影響を受けて来たガリラヤが、ユダヤ教の復興をすすめている過程でした。しかし、その歴史的状況から、ガリラヤは、イスラエルの中でも差別されている地方でした。
そのガリラヤに「光が射し込んだ。」とマタイは告げました。イエスさまの時代にはメシアが待望されていて、そのメシアを「光」と表現することもあったようです。マタイは、メシア到来をイザヤの預言の成就として、このイエスさまの登場の時に置いたのです。
ここからイエスさまの時が始まりました。イエスさまの時とはどんな時でしょうか。光の時、喜びの時、婚宴の時、…。もはや、闇の支配する時は終わり、光あふれるお祝いの時がやって来たのです。ヨハネの弟子までは、断食をしていましたが、イエスさまの弟子たちはしませんでした。それどころか、よく宴会が催されていたようです。みんな飲んで食べて、愉快に語り合い、笑いあったに違いありません。今の教会で言うなら、愛餐会、祝会の愛餐の時です。
わたしたちの教会は喜びにあふれているでしょうか。イエス・キリストの福音を信じるということは、その福音の喜び、救われた喜びに生きるということです。
もちろん現実には大変なこと、つらいこと、厳しいことがいっぱいあります。しかしその時に、それとどう向き合い、受け入れ、生きて行くか、が大切です。イエスの時は、その登場の時から始まり、十字架と復活を経て、教会の誕生とともに、現代までずーっと続いているのです。復活の主は今もわたしたちと共におられて、共に生き、共に働いておられます。
降誕節のこの時、福音書に記されたイエスさまの姿をしっかりと見つめて、そのイエスの時に生きるわたしたちでありたいと思います。
2025年1月19日(日) 降誕節第4主日礼拝 笹井健匡牧師