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「 誘惑 」 マタイによる福音書4章1~11節

 イエスさまは公生涯の始めに洗礼を受けられた後、悪魔の誘惑に遭われました。イエスさまは霊に導かれて荒野に行き、四十日四十夜、断食をされました。そこに登場したのが誘惑する者、悪魔でした。

 第一の誘惑は、「石をパンに変える」というものでした。人間はパンなしでは生きていくことはできません。イエスさまはそのことをご承知の上で「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8章3節)と答えられました。神さまは天から人に試練を与え、人を鍛えられる方でありますが、最後は、天からマナを降らせたように(出エジプト16章)、私たちにマナを、パンを与えてくださるのです。神さまに信頼するならば、必要なもの、食べ物は必ず与えられるのです。

 第二の誘惑は、神殿の頂上から身を投げて、神さまが救われるのかどうかという試みです。悪魔は聖書の言葉、詩編91篇11、12節を引用して、試みをなしたのです。悪魔は、自分が悪い者であると言って近寄って来るのではなく、さも良き者、聖なる者のように装ってやってくるのです。そのような悪魔に対して、イエスさまは、「神を試みてはいけない。」(申命記6章16節)と言われたのです。カルトや異端といったものも、聖書を用いて、悪の方へ洗脳しようとします。そのような時、「神を試みてはいけない。」という言葉を心に持ち、語っていくことが大切であろうと思います。

 第三の誘惑は、この世の繁栄ぶりをイエスさまに見せ、この世の権力をすべてあなたにあげよう、と悪魔は言ったのです。ただし、悪魔にひれ伏し、拝むならば、いう条件つきのものでした。悪魔礼拝をするならば、この世のすべてのものが自分のものとなるという誘惑に対して、イエスさまは「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』(申命記6章13節)と書いてある。」と答えられました。イエスさまは、「退け、サタン。」と激しく、毅然として言われました。悪魔の間には融和的な交渉はあり得ません。悪魔の誘惑は毅然と立ち向かわなければならないのです。

 イエスさまは、聖書に書かれている言葉をもって、三つの誘惑を退けられました。神さまを信じる者として、神の言葉に親しむことの大切さを思わされます。また、三つの誘惑は、食欲に対する誘惑、自分が何者かであることを証明しようとする誘惑、権力欲に対する誘惑といったことが記されているのではないかと思います。私たちには、欲があります。欲がない人などいないと思います。しかし、欲を持つとそこに誘惑がつけこんできます。自分の持っている欲がどのようなものであるのかを知り、それに伴う誘惑を神さまにあって退けなければなりません。誘惑の多いこの世の中ですが、誘惑に勝たれたイエスさまを思い、イエスまの語られた御言葉を心に持ち、誘惑に負けずに歩んで行く者でありたいと思います。

     2025年1月26日降誕節第5主日 平島禎子牧師


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