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「 光 復 」 マタイによる福音書5章13~16節

 尹東柱(ユン ドンジュ)という朝鮮人の詩人がいます。彼は1917年にクリスチャンホームに生まれ、幼児洗礼を受けています。1934年から詩作を始めました。彼の詩は全てハングルで書かれています。1942年4月に立教大学に入学し、同年10月に同志社大学に入学しました。その翌年の1943年7月14日に尹東柱は治安維持法違反で逮捕されました。1944年3月31日に尹東柱は京都地方裁判所で「日本国家が禁止する思想を宣伝・扇動した」という罪状で懲役2年の判決が出て、福岡刑務所に収監されました。収監中は「中身のよくわからない注射」を繰り返し打たれたそうです。そして、1945年2月16日に、尹東柱は大声で叫んで、絶命しました。朝鮮語で最後の叫びをなしたのだと思います。

 没後、1948年韓国で、尹東柱の詩集「空と風と星と詩」が出版されます。2012年にはソウルに「尹東柱文学館」が開設され、多くの人が訪れています。また詩は世界各国で訳され、国際的にも評価されています。日本においては、1984年に尹東柱詩集「空と風と星と詩」(伊吹郷訳、記録社)が刊行されています。また、高校の教科書でも詩人茨木のり子さんの文章で詩が紹介されています。立教大学では毎年尹東柱を覚える講演会を行っています。同志社大学、京都芸術大学、宇治川上流には、尹東柱の詩碑が立っています。没後80年になる今年の2月16日に、同志社大学は尹東柱に同志社大学名誉学位を贈呈することになりました。尹東柱没後の韓国、日本、そして世界は、尹東柱の光復をなさせたのではないかと言ってもいいのではないかと思います。

 今日の聖書には、「あなたがたは世の光である」(14節)と記されています。イエスは「わたしは世の光である」(ヨハネ8・12)と語られました。イエスを信じる者はイエスに倣って生きていく者です。イエスに倣って生きるということは、光の子として歩んでいくことです。(エフェソ4・8)。尹東柱は、イエスを信じる者として27年という短い生を光の子として歩みきったのだと思います。そして、その光は隠すことはできないのです。16節に「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。あなたの立派な行ないを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」と記されています。尹東柱という光は、今日、全世界で輝いているのです。

 しかし、尹東柱が戦時下にあって、治安維持法によって、思想犯として逮捕、投獄され、27歳の若さで獄死したことを忘れてはいけません。私たちは2月11日を信教の自由を守る日として毎年、毎年覚えていかなければならないと思います。韓国では、日本が敗戦した8月15日を光復節と呼んでいます。光復というのは大切な言葉だと思います。光を再び輝かせる光復ということを心に持ち、闇に埋もれてしまった人たち、出来事の光復をなしていく、また自分自身の中にある闇の中にあるものの光復をなして、光の子として、イエスの歩みをなすことができるよう、祈る者でありたいと思います。

尹東柱の詩

 

序詩

 

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥もないことを

葉群れにそよぐ風にも

私は心を痛めた

星をうたう心で

すべての死んでいくものを愛さねば

そして私に与えられた道を

歩んでいかねば。

 

今宵も星が風にこすられる。

1941年11月20日

 

(森田 進訳)

 

(「死ぬ日まで天を仰ぎ キリスト者詩人・尹東柱」日本キリスト教団出版局)


2025年2月9日 2・11礼拝 (降誕節第7主日) 平島禎子牧師


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